プロフィール欄には、「仕事上の調査のために取ったアカウント。活動する気ゼロ」などと書いていた。
調査は企画流れとともに終了したものの面倒でアカウントは放置。
ところが毎日のようにFacebookから送られてくるメールに辟易し、アカウント削除を考え始めた3月の頭、Facebook経由で、とあるメッセージが届いた。
「突然のメールすみません。人違いならスルーしてください」
誰だ?・・・ ビット鈴木だった。
おぉぉぉぉぉおおおおおおおお~~~~~~~! ビットー!
テンションと血圧と心拍数とアドレナリン濃度が急上昇した。
高校2年になった初日、隣の席は背が高く細身のヤンキー系だった。
こいつとは話合うかなー? おもしろい奴ならいいけどなー・・・
最初はお互い様子見だ。
休み時間・・・奴が牙を向いて来た。 その時の事は鮮烈な印象として脳裏に焼き付いて離れない。
俺は今際の際で見る走馬灯の中に、この時のシーンが流れることを確信している。
こんな風に書いたら「お?一体何があったんだ?」と思われるだろう。
しかし残念ながら、それは書けない。
今では彼にも家庭があり、子どもも居るのだ。
俺はこのエピソードを封印し墓場にまで持って行こうと思う。
その事件をきっかけに、俺ともう一人の友人 大島 は彼を「ビット鈴木」と呼ぶようになり、俺たちは仲良しになった。
奴は本当にファンキーでクレイジーで破壊的に心底楽しい奴だった。
笑う時は身体全体で笑っていた。
モンタレー・ポップ・フェスティバルで、ブライアン・ジョーンズがジミヘンを紹介する時に「今、もっとも危険な匂いのする男」と紹介したが、あれを、笑っちゃって喋るのも難儀しながら言うと、ビット鈴木の紹介になる感じだ。
彼を知ってる人は大いに頷けるだろう。
知らない人には・・・これ以上詳細は書けない。 彼も今は家庭を持ち子どもも居て、さらには社長として従業員の生活を背負っている立場なのだ。
彼とは授業中に良く遊んだ。
俺は部活(軽音楽同好会)もあって、普段遊ぶ仲間は別だったが、授業中の遊び相手はもっぱら彼だった。
良く喋り、良く歌い、良く騒ぎ、良く寝たなぁ。寝る子は育つってねぇ。
予測不可能な彼の動きのために偶然のバッティングを食らい、大量の鼻血を吹いて朝礼をパスして教室で寝てたこともあった。
彼の話す話題は非合法系の話から、大型タンカーはあんなにデカくて鉄製なのになぜ浮くのか?といった話まで多岐に渡っていて実に面白かった。
一度ビット鈴木他何人かで家に泊まりに来たこともあった。
彼は吸い終わったタバコの吸殻に唾を付けて天井に投げてくっつけるというおもろいことを始めた。
他の奴らも面白がって真似して、天井は無数の吸殻からなるアート作品になった。
そんな、なにしろファンキーで予測不能におもろいビット鈴木だった。
そんな彼から卒業以来のコンタクトだ。仕事なんかしてられっかってんだ。
彼への返信を最優先事項として、返信を書いた。
それに対する彼からのリアクションがあり、俺はさらにまた長々とメールを書いた。
楽しい思い出ばかり溢れてきてしょーがない。 笑いながらメールを書いた。
カミさんにもメールで知らせた。「ビット鈴木からメールが来たぜ」
「へー! 凄いじゃん!」
このリアクションだ。 「ビット鈴木? 誰?」じゃなく、「へー!」なのだ。
高校卒業以来会ってないのに、ウチの家族全員、以前から「ビット鈴木」は知っている。
そしてFacebookで、ビット鈴木から友達リクエストが来た。
Facebookはやる気は無かったんだが、ビット鈴木からリクエストが来たら、もうそれだけでやる価値が出てくる。
俺はビット鈴木のリクエストを受けた。
彼の友達リストに、高校時代の友人らが何人か居た。
俺は、自分の失敬極まりないプロフィールをちゃんとしたものに整えてから他の友人らに友達リクエストを出そうと思っていた。
Facebookでのビット鈴木のプロフィール写真は、真人間で、あまりにフツーのおっさんで笑えた。
「時は残酷だな」とメールに書いたら、「タイケーの言う通り、時は残酷だよ」だって。
昔のファンキーさはもう薄れてんのかな?
と思いきや、
彼はこの歳で芝浦工業大学大学院を受験し、これに合格し、春から大学院生なのだ。
学生なのでケータイ料金無料なのだ! 電車の定期も学割だ。
おぉ~、やっぱ、やることファンキーだな、おい!
そんな彼の投稿に対して、コメントを入れた。
他の人らがお行儀良くコメントを入れていて、別の投稿では、「鈴木社長」と敬称付きで書き込まれたりしている中、俺は、「ビットー!」と書き込んだ。
高校時代の友人以外は「は? ビット って・・・何?」だよな。ハハハ。
その後、高校時代の他の友人らも次々に友達リクエストを俺に送ってくれた。
あ・・・ヤバい。まだプロフィール整えてない・・・
と焦りつつも嬉しくありがたく受け、メッセージ送ったりした。
面倒なので伏字はしない。ビット鈴木と書いたので全員苗字は本名で書かせていただく。(俺だけこのブログでは苗字偽名ですまん。下の名前は本名だし)
高校時代、族をやっていた、にしかわ君。
俺がまだバイクを持ってない頃、彼の後ろにちょいちょい乗せて貰った。
ある日、俺はにしかわ君の後ろに乗せてもらい、友人ら何台かで国道246を流していた。
パッセンジャーは、片手をライダーのボディーに回し、片手でシートのステーを掴む。
交差点で信号待ちの時、俺はその手を持ち替えた。
その時、彼のアグレッシブな改造によるトラックホーンのスイッチに手が触れてしまい、と同時に失神するんじゃなかろうかって程の大音量でホーンが鳴り響いた。
慌ててスイッチを逆方向に倒すも、コンプレッサーが働いてるためにすぐには止まらず、慌てているためまた更にON側に倒してしまい、いつまでも鳴り止まない。
にしかわ君、前からあーだこーだと指示を出すも、「え?こっち?こっち?・・・」俺はひたすらスイッチカッチャンカッチャン・・・
にしかわくん、ついに危険を顧みずに後ろ側に身を乗り出して来てスイッチを切った。
隣の車線に止まっていたトラックの運転手がこちらを見て大笑いしていた。
そんなにしかわくん、なんとなんと、一部上場企業の社長(今は会長?)だそうだ。
スゲーなー、おい!
いつもテンション高くて笑顔しか見たことないんじゃないか?って深津くん。
卒業した年に、軽音の合宿にOBで参加した際、帰りの車は彼と同乗していた。
俺は助手席。深津くんは後部座席。
車は関口くんのもので、ドライバーは古澤くん。(この二人は過去にも因縁がある)
俺たちは神のお導きのまま、他の友人らの車が先行するに任せて、途中で止まって崖の上から各々の老廃物を体外に放出していた。 横一列。。。なんたる開放感。。。
事を済ませ、車に乗り込む際、松田くんが叫んだ。「ゴリさん、あの車だ!」
と同時に全員がキビキビと車に乗り込み、みんなで太陽にほえろ!のテーマを口ずさむ。
「テレテーーー♪テレテーーー♪・・・」
古澤くんはテンションとスピードを上げて先行車に追いつこうとする。
コーナーではタイヤを鳴らしてのギリギリのコーナーリング。
全員のテンションが否が応にも上がりまくる。
いくつかのコーナーを超え、そこそこタイトなコーナーに入った。
俺は助手席で、ほんの僅かなタイミングの遅れを感じた。 と同時に後輪がドリフト。
カウンターを当てる間もなく、ドライバーはパニックに陥る。 叫ぶ車のオーナー関口くん。
車は完全に横向き。俺の目の前は壁。 激突か・・・と思われたが、さらにドリフトしたお陰で完全に180°回転・・・だけじゃ済まず、ドリフトを超えて、スピン状態に。
みんなの口ずさみはドリフト開始と共にチョーキングアップだ。
「テレテェェェェエエエエエーーー♪」
車はコーナー後の坂を下りつつスピン状態で進み、やがて元の方向を向いた・・・が勢い止まらず。またもや回転。
2回転目は反対車線にはみ出し、崖側が眼前に・・・・ 落ちるのか・・・ 死ぬのか・・・
車の先端がガードレールの反射鏡に当たり、反射鏡が弾かれて、崖の下へ落ちて行った。
タイヤは鳴りっぱなしなのに、妙に静かなシーンの印象がある。
そして車は止まった。 ほぼ2回転スピン。
なぜか分からんが、全員その場で車を降りた。
極限の緊張状態から一気に弛緩し、全員、涙を流しての爆笑。ドライバーの古澤くんと車のオーナーの関口くんを除く。(てことは爆笑は3人だ)
「テレテェェェェエエエエエーーー♪ だって。アハハハハハハ!」
「スローモーションだったよな!ヒャーッハッハッハッハ! 腹イテー!」
そして深津くん、ドライバーの古澤くんに歩み寄り、「古澤くん、どうもありがとう!」と言って握手を求めた。
古澤くん、茫然自失の状態で「あ、、、あぁ」と握手を受ける。
俺も、松田くんも続いて握手を交わした。
生きてるって素晴らしい!
このエピソードを深津くんへのメッセージに入れたところ、
「よく覚えてたねー。すっかり忘れてたよ。あれはすごかったね。ウインカーが飛んで行ってなかった?」
と返って来たので、飛んだのは反射鏡で、ウィンカーは割れたんだよ と訂正しておいた。
何しろ、このエピソードもウチじゃ家族全員昔っから知っている。
学園祭の時、余興的ステージで俺がアコギをかき鳴らしつつトシちゃんの『哀愁でいと』を歌い、今田(こんだ)君が踊りまくるってのを演り、大いにウケた。
当時はフォーク系にしろロック系にしろ、面倒くせー事言うのが多くて、このステージに関しては先輩方から小言を大いに食らったがそんなもん屁でもなかったね。
ビット鈴木もこのステージは大いに評価してくれていて、今でも絶賛してくれている。
今田くんとはスキー合宿にも行って、夜、二人してわざわざパンツ姿になって雪の積もる外に出て、他のみんなからの雪球攻撃に見舞われた。
右が俺。 白い点はすべて投げつけられてる雪球。 俺、意外と良い身体してんじゃん。絶妙にビーチク隠れてます。 |
そんな彼も友達リクエストを俺に送ってくれたが、俺が出したメッセージに関して何のリアクションも無い。ハハハ。
卒業後のある飲み会に車で来て、コーラを12杯飲んでいた白川部くん。
彼はトライアスロンをやっているようだ。
いや~、お久しぶりです。よろしく~。
とメッセージを交わした清水くん。
彼の顔にははっきりと覚えがあるのだが、、、実は絡んだ記憶が無い。
まいっか。ブハハハハ。
ウチの上の子が生まれる前に会ったのを最後に、ずっと会ってない谷本。(こいつは敬称無し!)
童顔で男前の彼だったが、順当におっさんになっていて、カミさんと二人して笑った。
彼とは数年おきにメールのやり取りくらいはあったのだが、今では4人の子持ちだってことをFacebookの投稿で初めて知って腰抜かした。
ウチの第一子の2年後から出産ラッシュが始まったようだ。
彼の子どもに関する投稿に思わずコメントを入れようとし「テメ!谷本!コノヤロ!」まで打って[Enter]を押したらコメント投稿されてしまった。
コメントなのにチャットみたいに[Enter]で発射しちゃうのね? Facebook、イマイチ良く分からん。
高校の頃から、怪し気にニヒルでシャレオツだった前淵くん。
彼もビット鈴木とウチに来て、タバコの吸殻アートを天井に描いた一人だ。
彼は渋谷にセレクトショップを出している。
相変わらず怪しげにニヒルにシャレオツな彼だが、もちろん、おっさん化していて渋みも加わっている。
そんなことがあって、俺の方から大島と伊藤も誘い、Facebookに引き入れた。
俺の記憶が確かなら、「ビット鈴木」と最初に言い出したのは大島だ。
でも「ビット鈴木」って呼んでたのは俺ら二人だけだったけどな。
彼は今、デトロイトに住んでいる。
スピンの話に出てきた松田くんは、長年中国に単身赴任していたが今年の始めに日本に戻り、やれやれ・・・と思うまもなく今度はデトロイトに飛ばされたそうだ。
以前このブログに、寝ぼけた友人がタバコに火を点けてタバコを捨て、マッチの火を見つめていた話を書いた。
それを笑った後で、俺は朝食のパンを焼こうとして片手にパンを持ち、もう片方でトースター・・・の隣りのラジカセをガチャっと開いて・・・「なんだっけ?・・・」状態に陥ったエピソード。
その時の友人ってのが伊藤だ。
谷本は会社を経営する傍ら、バーも開いた。
今度その店にみんなで行こうなんて話になっている。楽しみだ。
母校と言うか、正確には元母校のあった建物の前。
今は大学校舎になっていて、当時の面影は無い。
近くの串焼き屋に入って大いに語り合ってきた。
卒業以来、お互いいろんな事があって、いろんな事を思い、それなりに哲学し、それなりの哲学を持ち、その時代・年代なりの楽しみその他も経験し、その上での今の相手の話を聞き、自分を語った。
子どもの話をし、友人らについて語った。
面白かったーーーー。楽しかったーーー。
高校時代3年間はかけがえのない、楽しい3年間だったよなってことで意見の一致を見た。
俺たちは高校が楽しくて楽しくて、いや、それなりに体制への反発もあったし、それなりのバックレや事件もあったけども(いやあったからこそか)、基本的に自由だったものだから、「俺、尾崎豊の歌に共感できないんだよね」という俺の言葉に、ビット鈴木も激しく首を縦に振って同意していた。
卒業以来会ってなかったのに、フツーに楽しく語り合えるって凄いことだな。
10代のあの頃を共有した奴こそってことなんだろうな。
なんで卒業以来コンタクトも取らなかったんだろうな?
色々と、人との間って、「間合い」ってもんがあるからな。。。
「卒業式も男子校だけにあっさりしてたもんな」とビット鈴木。
「そういや、卒業式終わってから、会場の外で車乗り回して事故ってる奴居たよな?」
と俺が聞くと、
「それ、俺だよ!」
あーー!そういやあれ、ビットだった! ギャハハハハ!
凝縮された良い時間をすごせたよ。 ビットー!
そんなこんなで、不肖私、Facebook始めました。
ここんとこ公私共にあまりに忙しくて、復活宣言しておきながらブログの更新も滞り、SNS活動の一切も停止してましたが、またボチボチ始めて行こうかと。
みなさま、よろしくお願いいたしまする~。
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