目覚ましが鳴る前に目が覚めた。
カーテンを開けると薄曇り。 路面が黒く濡れている。
夜中のうちに降りやがったか。 ハーレー濡れちまったなぁ。
今日は前日行けなかった京都霊山護国神社へ行くのだ。
『竜馬がゆく』を読んで以来、いつか行きたいと思っていた、竜馬の墓へ。
● 不吉過ぎる蝉
ハーレーは雨に濡れていた。 サドルバッグにはレインカバーを掛けておいたので浸水被害はなし。
ウエスも持ってきていたので綺麗に雨粒を拭う。 昨日の汚れが落とせてちょうどいいか。
すぐ近くの木で蝉が鳴き出した。 「ねーーーしねーしねーしね死ね死ね死ね死ね死ね死ね・・・」
なんて蝉だ! 死ね死ね蝉か! うるせー!死なねーよバッキャローめ!
さあ出発。
当初の予定ではゆっくりと東へ向かい、浜名湖で高速を降りて昼食にうなぎを食べることになっていたが、琵琶湖大橋で西岸へ渡り、南下して再び京都入りだ。
琵琶湖は、東側を北上すれば長浜城がある。 信長時代に秀吉の居城だったところだ。
西側には比叡山や坂本城もある。 明智光秀の居城だったところね。
もちろん、京都や大阪は数え上げればキリがないほど歴史ファン垂涎のスポットだらけだ。
そんな魅惑のスポットへの想いをバッサリ断ち切って、何しろ向かうは京都霊山護国神社。
自動車専用道路で涙を迸らせながら向かった。グラサン欲しい~。
とりあえず今日はスマホも問題なしだ。
● ちょっと散策~維新の道
京都霊山護国神社には駐車場が無い。 門前に停めることもできない。
隣りの高台寺には大きな有料駐車場があり、ここに停めるのが良いってことを事前に調べておいて良かった。
駐車場に入ると、初老の誘導員のおっさんが、「1時間500円掛かるけどええか?」とにこやかに聞いてきた。
生関西弁、というかこれは京都弁なんだろうか。 いい響きだ。
砂利敷の駐車場をゆっくり慎重に進みにハーレーを停め、ロックした。
駐車場の外に出たら、そこがもう京都霊山護国神社の参道入口。
時間的に余裕があったのでやり過ごして近辺を散策。
古都ならではの町並みに渋さと雅を感じてイェ~イ!だぜ。
護国神社の鳥居をくぐってなだらかな登り坂を歩いて行く。
維新の道ってか!
この石碑は1970年頃に立てられたもので、松下幸之助揮毫だって。
● 神社境内へ
境内に入って右手にはグッズ売り場。 そこに、しょーーーもないノボリが。
何を~『リョーマの休日』だ~あ? あったま来た。 チョーあったまきた。 だけど高知県は行ってみたい。
写真ちょっと判りにくいが、拝観料として入り口ゲートに300円入れて通過するシステム。
中途半端な高さの石段を上っていくと、さらに上に続く道。
また更に上へ・・・
おぉ~~~、ここだ! 竜馬と中岡慎太郎の墓だ!!!
向かって左側が竜馬、右側が中岡慎太郎。
感動だ。 俺のこの想いは言葉にはできない。 もう、ただただ感動だ。
ついに来ましたよ、坂本さん・・・中岡さん・・・
いつか行ってみたいと思ってから・・・何年だ? 四半世紀以上か?・・・
写真左側の灯籠の左側のちょっと低いのは、竜馬と中岡慎太郎が暗殺された時、一緒に殺された峰吉君の墓だ。おぉ~。
お墓の横には石碑があって、その隣りには小さめだけども二人の銅像が。
竜馬、短めの刀にブーツ!
そしてお二人はこうして京都の町並みを見下ろしている。
薩長同盟と言えば竜馬が仕掛け人 として知られているが、その裏には中岡慎太郎の奔走や働き掛けもあってのことだ。
どちらか一人だったらできなかったのかもね。
もう一つ、中岡慎太郎って凄い!と思うことがある。
幕末は色んな人たちが写真を残しているが、そんな中、俺が知る限りでは唯一、、、ただ、一人、、、中岡慎太郎のみ、笑顔で写っている写真があるのだ。
ネットで探して拾ってきた。
幕末の志士が笑顔でフリーズして写真撮られてるって凄いでしょ! 中岡慎太郎、只者ではないなって感じだな。
竜馬と中岡慎太郎の墓の裏手には長州系志士たちの墓が並んでいる。
ぬぉお~~~!高杉晋作!!! しかも来島又兵衛と隣り合ってるじゃないか!!!
高杉晋作の墓は昭和に入ってから立てられたものなので彫りがハッキリしている。 立て替えたのか新たに立てたのか、経緯は判らん。
しかし来島又兵衛。 来島のじいさん! 高杉晋作はかなりの過激派だったが、来島のじいさんは高杉晋作も手を焼くほどの過激ジジイだ。
あーーーーチョー語りてぇ~~~! このトピックがギガ単位になっちゃうんで我慢しよう。
長州系志士たちの墓の裏に廻ってみたら、
元治元年甲子七月二十日歿 とある。
がんじ とか がんち と読まれることが多いが、正しくはげんじ。 げんじがんねん、激しく世の中が動いた年だ。
甲子はきのえの子年。 七月二十日はつまり蛤御門の変の二日後。 蛤御門の変で命を落とした志士たちがずら~っと並んでいるのだ。 くぅ~~~~~!
「来島のじいさん」こと来島又兵衛も、蛤御門の変で戦士している。というか首謀者だ(過激!)。享年49歳。
この時代でも49でジジイなのだ。
この時、高杉晋作26歳(ジジイの説得に失敗→脱藩→入牢→蛤御門の変には参加してない)、竜馬は29歳、中岡(蛤御門の変に参加して生き延びてる)は25歳だ。
来島のじいさんの反対側の隣りは、久坂玄瑞の墓。 おぉぉぉぉ~~~。
この人もじいさんと共に蛤御門の変で戦士している。 享年24歳。
幕末の革命運動の中心となったのは、20代前半から30代までの若者たちだ。
そんな大勢の若い人らが本気で国を憂い憤慨し、より良い明日を夢見て命を落として行った。
その上で今があるって訳さ。 そんなん思うと、ここ来て感動しない訳にゃ行かない。
他にも長州系、土佐系の志士たちの墓を見て回った。
吉村寅太郎の墓が結構立派だった。 那須信吾と(土佐)とか吉田稔麿(長州)とか、池田屋惣兵衛(池田屋の主)とか、横井小楠(肥後)とか、色々な幕末物登場人物のお墓があった。
長州の桂小五郎、維新後は木戸孝允の墓は竜馬らの墓よりもさらに上の方にあって、かつ、チョー立派だった。
隣には奥さんの墓もあった。
坂本さん、中岡さん、それじゃ、また。
散策しつつ山を降りる。 紅葉の頃に来たら綺麗だろうなぁ。
来て良かった。 本当~~~~に良かった。
駐車場に戻り精算。 1時間20分以上経っていたが、「あぁ、500円でええよ」と1時間分でおまけしてくれた。
● 家路
自宅までのルートをナビにセットして出発。
高速に乗り、琵琶湖の下あたりの大津S.A.に入り、サングラスを探したが置いてなかった。
昔はどこのS.A.にもインチキサングラスが置いてあったんだが、規制でもされてるんだろうか?
家族へのお土産に『神戸プリン』を買った。 神戸には行ってないんだけどね。
涙を迸らせながらも快適・快調にひたすら走る。
こまめに休憩入れてゆっくり帰るつもりだったが、ガソリンスタンドがあって飯も食えるS.A.が出てきたら入ろう・・・と思っていたら浜名湖S.A.まで来てしまった。
お!うなぎ弁当とな! あれ食べよう!
ちゃんとした鰻屋さんのS.A.出張所のようなとこらしい。 2,500円也。
ここ数年、うなぎの稚魚の漁獲高が激減し、価格が尋常じゃなく高騰してるらしい。 そのあおりで鰻屋さんも軒並み値上げしてるようなので、この値段も値上げ後の値段かも。
いっただーきまーす!
うん。。。なるほど。。。香ばしくワイルドな味わいだ。 美味い美味い。あー、幸せ。
けど、俺は柴又帝釈天の川千家のうなぎの方が好きだな。
売店をチェックしていたらなんと!インチキサングラスじゃない本物のサングラスの売り場があった。 やった!
今までのはちょっと暗めで夜はキツかったので薄目のモノを選んだ。 セールとやらで6千円也。
さあ出発。
浜名湖S.A.を出てしばらく後、数キロに渡って雨に降られた。 グラサン無いままだったら危なかったな。
途中で数キロに及び渋滞に巻き込まれながらも、明るいうちに帰宅できた。
無事に帰って来られて良かった。 そのことに感謝。 って俺は無神論者なんだけども何に対して感謝してるんだろうか? まぁとにかく。
この日の走行距離477.7km。
往復で1,083.1km。
これまでは20代前半の頃の2日で1,000kmちょうどってのが記録だった。 83km更新か。
いや~、疲れたのなんの!
でも行って良かった。
以前以後で世界観変わるくらい感動した。(←ちょっと誇張入ってますが・・・それでも「ちょっと」)
次はもうちょっと足を伸ばして、長崎の亀山社中記念館にも行きてえな~。
いつかハーレーで・・・
『竜馬ツーリング 余話として』 へ続く・・・
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