2012年12月28日金曜日

忘年会的同窓会

戦艦ミズーリ級

米海軍戦艦ミズーリ
Wikipedia より
先週土曜日は中学時代の友人らとの忘年会というか同窓会だった。

ヤボ用で少し遅れてお店に到着。
店のオーナーで幹事の、でー君(以降先生以外はすべて仮りの呼び名。男は君、女はさん)に挨拶。
「うぃ~っす。ども~!」
「おー!タイケー!」

と、入ってすぐのテーブルに4人の老人たち。
ん?・・・「うっわ!小倉先生~!」 中1の頃の担任の先生だ。
「おぉ~、たい・・・え~っと・・・たい・・・タイケーか?」
「わっ!俺のこと覚えてくれてるんですか?!」
「おぉ、お前は覚えてるぞ」
感激しながら握手を交わした。

その向かいの席には・・・「あ゛ー!高原先生!」
「えっと・・・ごめん、誰だっけ?」
「タイケーです。 俺、先生は担任じゃないし、授業も受けてないけど、3回くらいビンタ食らってますよ」
「本当!?僕が? どこで?」
説明したら、なんと思い出してくれた。
「今じゃ考えられないな・・・。いや本当~にすみませんでした」 と頭を下げ出した。
「いやいやいやいや、ひっぱたいてくれて良かったですよ。本当に良い思い出です。
 先生には卒業直後のコンサートでも世話になったし、感謝してるんですよ」

中学を卒業してすぐの日程で公会堂を借りて2日間に渡るコンサートを企画したものの、ホール側から学校サイドの了承を取り付けるように言われた。
そこで俺と友人、くー君と二人して校長室に行き、校長に掛け合うも交渉決裂。
その後、その話を聞きつけた高原先生が「お前ら!校長に直談判したんだってな。 よし。俺が責任とってやる」 と言って、ホールと話を付け、当日は後見人として来てくれたのだ。
一緒に演った他のバンドで、このウラ話を知ってる人は数少ない。
「僕が?そんなことしたの? へぇ~」
覚えてないってところがニクいよね。

「小倉先生にも俺は何度かぶん殴られてるよ」
「本当か? 俺が殴るのはよっぽどのことだぞ」
「よっぽどな俺だった訳ね?ウハハハハ」
「ガハハハハハ」
小倉先生、御年82歳。 当時、職員室でインスタントコーヒーをボールペンでかき回していた、違いの判る音楽教師だ。

その隣に座っている、帽子を小粋に被った先生が誰だか判らず、挨拶だけで友人らの席へ。



そこにチョー久々に会う、すー君が。 おぉ~、久しぶり~。
彼はその昔、そーとーなバイク乗りで、オンロード車でアスファルトの道でアクセルターンをぶっこいちゃう程だったが、今ではまったくバイクには乗らず、チャリライダーだそうだ。

ん?彼が居るということは・・・
7年前、こつ然と音信不通になった、先程の話に出てきた、くー君が・・・そこに居た。
7年ぶりの再会での挨拶は「て~~めぇ~~~!くー!コノヤロぉ~~~!」

彼は不摂生が大好きで、心臓を取り出しての手術や脳梗塞まで経験している。
健康診断をすればおそらくすべての数値にアスタリスクが10個ずつ付く程の見事な不健康っぷりだ。
しかしそれでも吸ってるタバコはセブンスター。その他の不摂生不養生を愛し続けている。

くー君が入院している時に、同級生で僧侶のもー君が袈裟姿で見舞いに行ったそうだ。ブハハ。
その、もー君とあれこれ話していたところ、彼と俺とは一度も同じクラスになってなかったことが判明。
え゛~?  でも一緒に遊んだ記憶はある。きっと遊んだんだろう。



以前、熱海侵攻作戦での小隊長(幹事)を務め、従軍カメラマンとして中途半端な参加をさせて貰った俺が世話になった、おー君と挨拶。
「タイケー、熱海以来だね」
「あの時はお世話になりました」
「いや、タイケーに悪くてさぁ」
「いやいやいやいや、俺は十分楽しませて貰ったから」
悪いなんて思ってくれちゃったらこっちが申し訳ない。ほんとになんて良い人なんだろ。



よー君とは高校3年の頃に街で偶然会ったついでに彼のバイクで中野まで乗っけて行って貰って以来だ。
久々~。 小学生の頃から変わらない口調であれこれ語った。
今はもうバイクは乗ってないそうだ。



ベーシストの、なー君も来ていた。
彼はアマチュアではあるけども、ずっと活動的にライブなどでプレイしている。
凄いというか、素晴らしいこったね。



こういう会では大抵顔を合わせる、にー君も来ていた。
俺のブログを読んでくれているので、娘の状況を知っていてくれて、その話題を振ってくれたりする。
ブログやってると、こういうのがイイ。
ちなみに彼は前立腺がん予防に毎日心を砕いているそうだ。
彼のそういう何事にもサラっとアグレッシブなところがナイスだ。



ブログと言えば、俺のブログの愛読者を自認してくれている、いー君がまた俺のブログを誉めそやしてくれちゃったりする。

「タイケーのブログは本当~におもしろいな。タイケーは作家だよ。
 おい、みんな、タイケーのブログ見てみ。ほんと面白いから」

褒めすぎだよ~~~!ハードル上げすぎだよ~~~!

まぁこういう風に言ってくれる友人が居るってことがブログを書き続けるモチベーションにも繋がってる訳でね。

ちなみに、いー君は、とある企業の社長をやっていて、仕事中に俺のブログを見て、声を上げて笑ってしまうことがあるそうだ。

「どうしたんですか?社長」と従業員に尋ねられると「いや、中学の頃の友だちのブログが面白くてよ~。お前、こっち来て見てみろ」なんつって見せちゃうんだそうだ。

規模や株価によらず、こういう会社は一流だね。あぁ、そりゃもちろん。



あれ? 向こうに居るシュッとした身なりの彼は誰だろう?・・・

彼が隣の人と話ていて激しく笑ったその仕草で中学当時の彼が蘇った。
俺はそこに移動し、彼に声を掛けた。 やっぱり、やー君だった。
「お~~~、タイケー! あそこに座ってんの、タイケーかな~と思ってたんだけど、間違ったら失礼だなと思って」
「俺も最初は誰だか判らなかったんだけど、笑い方で判ったよ」

当時、彼とは普段居る世界は違うもののギター繋がりでの交流があった。そういうものが絡むと妙な感慨があって面白い。
俺は彼のギターの腕(めちゃめちゃ上手かった)に敬意を払っていたし、彼も俺のギターをそこそこ認めてくれてたのかな?って感じね。



もう一人のやー君には、前回俺が不参加の飲み会の帰りに警官に職質掛けられた際に暴れて公妨で現行犯逮捕され、身重の奥さんが身元引き受け人となって釈放され、後に起訴猶予処分となったエピソードを面白おかしく聞いた。
いくらなんでも、他人の自転車を警官に投げつけちゃいけませんな。ハハハ。



この手の会にちょいちょい顔を出してる女子たちが軒並み不参加で、今回参加の3人の女子のうち2人は卒業以来だった。
その一人、かーさんは、、、俺はこの人を知っている。名前も判る。だが・・・当時、どう絡んでいたのか覚えてない・・・
変だな?・・・ 俺はこの手の記憶力はかなり良い方なんだが・・・

通常、久々に顔を合わせる場合、いつの時点で同じクラスだったっけ?みたいな話になるもんだが、彼女はいきなりフツーに俺に話しかけてきた。

「タイケーはさ、 ああだこうだなんだかんだ・・・」

マジっすか。俺をタイケーと呼ぶくらいフランクな感じだったっすか?
やっべ・・・覚えてない。俺は彼女をどう呼んでたんだろう?・・・
とりあえずノリを合わせて談笑~。



もう一人の女子、さーさんは、中学当時同じクラスだった男がその場に何人か居るのに覚えてない。
男の方も彼女を覚えてない。
他にも色々な話をするが、あれもこれも記憶にないと言う。
君は実は居なかったんじゃないのか?という話になる。

俺は幼稚園の頃、『お遊戯』が嫌いで、その時間はボイコットしていた。
みんなが園庭に出てお遊戯をしていても、俺は教室に残ってクールに同級生たちを見ていたのさ。
そんな時、教室にもう一人残っていたのが彼女だった。
俺は彼女に声を掛けた。
「君は? みんなと楽しまないの?」
「私はどうもああいうのは苦手で・・・」
「そうか。どうやら僕らは気が合いそうだね」
「あら、それはどうかしら? フフフ」
「じゃああそぼ」「うん。あそぼ」
みたいな経緯があって二人で遊んだ。
その話をしたら、それは覚えていると言う。
「それだけ覚えてくれてるなら十分だ!」
十分って何だそりゃ?



賢い上人徳もある こー君は長野県から駆けつけた。
俺のタブレットは彼の勤めるメーカーの物だ。

相変わらずおもろい あー君(あ、すー君の普段の呼び方と被っちゃった)は、こー君がいかに巨大で危険な最終兵器を下半身に携行しているかを、中学当時大人しい系だった女性、たーさんに力説していた。

「な?タイケー」と話を振られたので、「うん。対戦車砲並みだね」と裏打ちしたが、あー君の想定はもっと巨大だった。
「いや、空母ジョン・F・ケネディーか、戦艦ミズーリ級だ!」

米海軍空母ジョン・F・ケネディ
Wikipedia より
こー君のジョン・F・ケネディからは何が飛び立つのか!?

米海軍戦艦ミズーリ
Wikipedia より
こー君のミズーリもこんな風に?・・・
 もう比喩のレベルも遥かに超えて、意味がまったく分からない。ブハハハハ。


たーさんとは中1の頃に同じクラスだったが、交流は無かった。
けど、ん十年も経って話してみると、結構話せるのが面白いね。



「ところで、あの帽子を小粋に被ってる先生が分からないんだけど・・・」
「石黒先生だよ」
「石黒?・・・ふ~ん・・・  何ぃ?石黒だ~ぁ? 吹奏楽部の顧問じゃん!」
当時は若い先生だったのにすっかりジジイだ。

その石黒先生が俺の前の席に移動してきた。
「先生、俺、吹奏楽部でトロンボーン吹いてたんですよ!」
「あ~、そう~~~」
「先生に褒められたんですよ。 君、本当にトロンボーン初めて? って」
「ふ~ん・・・。私はね、あの中学校ではね・・・・ムニョムニョムニョムニョ・・・ それが私の原点」
「へぇ~!そうんなんですかー!」
って、何喋ってたのかほとんど聞き取れなかった。
ひとっっつも話が噛み合ってなくて清々しい会話だった。



遅れて参加の、かー君には近況を色々聞きたかったのだが、あまり話す機会がなかった。

はー君とも久々に顔を合わせ、「あれ?顔丸くなった?」「あぁ、あの頃よりね」などと言葉を交わすが、あまり多くは話せなかった。

たー君とは小学3・4年と仲良しだったが以降交流が無く、この日も会話は無かった。



ちょっと中休みでボっとしてたら、幹事のでー君に突っ込まれた。「お~い!タイケェー!」
「うぃ~~~~~~っす!」
さり気なく常にあちこち気を配ってくれている。



なんやかんやでいいもんだな、同窓会って。



「タイケー、若いな」と何人かに言われたが、みんな結構若い。

ちょっと面白いなと思ったのは、
中学当時、ワル系だった層はみんな若い上、身なりがちゃんとしてるね。
カジュアルにしてもスーツ姿にしても。
ちゃんとっていうのは真面目って意味じゃなくて、ちゃんとしてる。
次が遊び人系の層かな。

なんだろう? 心意気が身なりに出るんだろうな。


え?俺はどこ系の層だったかって?
そうねぇ・・・隠れアウトロー的ファンタジー系ロマン派バカってとこかな?

いや、他の層はちゃんとしてないってことじゃないよ、もちろん。
でも、結構疲れが滲み出ちゃってる人らも居たなぁ~。
ま、ここだけの話ね。
「別にイイ」んだろうな、そういう人らは。

こだわりまで行っても行かなくても、お洒落してもしなくても、「ちゃんと」するって大事なんじゃないか?と思ったね。 それは心意気的に。



一次会お開きとなって、みんな帰り支度をして出ていく。
82歳の小倉先生に付き添って送って行ったのは、おー君だったかな?

俺もあれこれやらなきゃいけないことがあるので帰るつもりでいたんだが、何人かに二次会に誘われた。
しかも、「来いよ!」じゃなく、優しく誘ってくれんの。
俺、全然酒飲めないのに誘ってくれるって、ほん~っとに嬉しくありがたい。
で、二次会へ。

あれやこれや楽しく過ごして、あっという間に終電の時間。
みんなと固く握手を交わして別れを告げた。

例の、かーさんとはハイタッチ。 なぜか何度もした。おもろいね。
それじゃ、また!

外に出て、一服中の数人とも握手。いずれまた・・・

かーさんは外まで見送りに出て来てくれた。
それじゃ!
「じゃあね、気をつけて~」 手を振って見送ってくれた。
「ありがとー!」
かーさん、マザー・テレサ並に良い人だな~。
って、昔、どう絡んでたんだっけ?・・・思い出せない・・・ヤバい・・・



近くでタクシーを拾い、JRの駅を告げた。
「忘年会ですか? このへんに会社があるんですか?」
運転手が聞いてきた。
「いや、中学の時の同窓会でね。当時の先生も来て」
「そうなんですか。 もしかして・・・82歳の先生がいらした同窓会ですか?」
「え゛? あ、そうですけど・・・・」
「先ほど先生をお乗せしたんですよ。付き添いの方と一緒に。 それでご自宅まで行って帰ってきたところです。上機嫌でしたよ」

へぇ~! なんと!
先生を乗せたタクシーに俺が乗ったってのも驚きだけど、
おー君、小倉先生をご自宅まで・・・ お疲れ様でございます。 なんて良い人なんだ!




楽しい忘年会だった。


2 件のコメント:

  1. ベーシストのなー君です♪ お疲れ様でした!! 楽しかった!!

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    1. なーく~ん(ハハハ!) コメントどーもありがとー!

      お疲れ様でした。 楽しかったね~。
      いずれまた楽しく盛り上がれると良いですね~。

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