ヘクトパスカルですかー!
(ほんとにいつもいつも長~いトピックですんません)
(ほんとにいつもいつも長~いトピックですんません)
開場後まもなくして客席についた。
いや、実はその会話の時には正直俺も寝たら洒落んならんと思っていた。
だが、実際は、、、
前日は仕事上がりが午前3時少し前。(中学の同窓会、せめて3次会にでもと思ったが行けなかった)
帰宅して床に就いたのが4時過ぎ。
睡眠時間4時間で聴きに行ったのだが、「寝てしまったら」は杞憂だった。 テンション上がりまくりで、寝る訳ねーよ。
娘はクラシックにも興味を持っているし、最近、学校の催しで、同じホールでオーケストラを聴いたばかりなので大丈夫だろう。
息子は、、、おそらく寝るだろう。 じっとしていることができない彼は、じっとしてなければならない状況下に置かれると、脳が逃避行動を選択し、とどのつまり寝てしまうのだ。
何にせよ、聴く気もないのに連れて行ってもしょうがないので、本人らに意思確認したところ、二人共行きたいと言う。
そうか、ならば連れていこう。
そしていよいよ待ちに待った当日。
そぼ降る雨の中、車で現場へ。
ホールは巨大ショッピングモールの一角にある。
チケットは会場お取り置きシステム。
注文番号を伝えることで渡される。
ちなみにお取り置き手数料は一枚あたり315円。
カミさんは高い!と文句を言っていたが、チケット代が半額ならそれくらいどってことねーべ?
半券切られる前のチケット、撮っておこうと思って
客層はやはり年配者が多い。
小学生高学年くらいの子連れを他に2組ほど見かけたが、さすがに低学年連れはいなかった。
ウチの息子は最年少だ。
キャパ約2千人のホール。
ステージ奥、つまり見た目正面にはカモメをモチーフにした巨大パイプオルガン。

ステージの高さはかなり低い。 1階席でもステージの上が無理なく見渡せるほどだ。
おそらくこれはオペラの舞台を考慮してのことだろうが、それ以外でも演者の足元まで無理なく見えるってのはいいことだ。
(冒頭部分からのつづき)
最初の曲『リュートのための古風な舞曲とアリア』が、
鳴り出した。
あぁ~・・・・・・
なんてことだろう。
半分以上は「イ・ムジチ」のブランド力で勝手に気持ちよくなるだけだろうって意識もあったのだが、ブランドはやはり、本物でなきゃそれをキープできないんだな。
もう最初の一音、一和音から魂を清められた。
俺は言うことが大袈裟だと言われることもしばしばだが、これに関しては「大袈裟」って概念さえぶっ飛ぶ。(それが大袈裟と言うんじゃ?)
なんて澄んだ音。
なんて澄んだ和音。
なんて精緻なアンサンブル。
濁りもうねりも一切ない、いや、プロなんだからあたりまえの遥か上を行くレベル。
今までも少人数編成や弦楽四重奏を生で聴いたことはあるが、格が違いすぎる。
マイクなど電子的機器を一切通さず、完全生音で、
一流の楽器を一流の奏者が一流の楽団の看板背負って一流の演奏をしているのだ。
それぞれの楽器の音が、それぞれに美しく芳醇な響きだ。
あまりの素晴らしさに、ただ涙。(マジで)
チェロによるピチカート(弦を指で弾く奏法)が入った。
俺は今まで、こんなにも美しく魂が震えるピチカートを聴いたことがない。
弦楽器のみの編成では、ピチカートがリズムのアクセントにもなり、ワクワク感を引き立たせる。
さらに、ヴィオラとチェロでピチカートによる掛け合いみたいなものがあった。
あーーー、もうダメだ。 失禁しそうだ。
最低音量から最高音量までのダイナミックレンジも生半可じゃない。
その差は一体、何デシベルですかーーー? あるいはそれはヘクトパスカルですかー? もうダメだー!
ピアニッシモのロングトーンの、真っっっ直ぐに澄みきった和音の見事なまでの調和は、もう奇跡のレベルだ。
至高の音、至高のアンサンブル、至高の調和、至高の間 に、ただただ魂を洗い清められ、為す術もなく感動。
そして涙。
息子は? 客席で斜めに伸びきって爆睡。 俺、それ見てさらに涙ジョボジョボー。
しかしあの、クラシックのコンサートって、楽章と楽章の間に、か・な・ら・ず、咳払いや咳をする客って居るのはどういう訳だろ?
一曲目が終わった。
なんて素晴らしい。
客席も一丸となり、見事な調和を見せての万雷の拍手・拍手・拍手。
曲自体も素晴らしかった。
タイトルは聞いたことがなかったが、曲はどこかで聞いたことがあるような。
作曲は、レスピーギ。 う~ん、俺は知らない人だ。 今度、CD買ってみようかな。もちろんイ・ムジチ版。
2曲目、3曲目とも、奇跡の演奏は続き、そして20分間の休憩に入った。
息子を起こす。
「おい、お前、今、来たことを一生自慢できるほどのものを聴きに来てるんだぞ」
そして娘に感想を聞いてみたが、いまいちリアクションが薄い。
まだちっと早かったかなぁ。
ロビーでは軽食やソフトドリンク、アイスクリームが売られている。
娘、「ねぇ、ジュース飲みたい。アイスクリーム食べた~い。ねぇねぇ、何か食べた~い飲みた~い」
「う~~~るせぇ!クソボケー! 水でも飲んどけーーー!!!」
良い気分を飲み食い話で邪魔されて、マジであったまきた。 リアクションが良ければアイスでも買ってやったのに。ハハ。
休憩時間が終わり後半へ。
後半はいよいよ、アントニオ・ヴィヴァルディ作曲、ヴァイオリン協奏曲集Op.8『四季』だ。
4つの季節がそれぞれ3楽章ずつ、合計12楽章で構成されている。
『四季』はヴァイオリン協奏曲。 なので、それぞれの季節にヴァイオリン・ソロがある。
その、ソロの部分を弾くソリストの変更のお知らせが開演前にあった。
「演奏者の希望により、アントニオ・アンセルミ からアントニオ・サルヴァトーレに変更になります。」
知ら~ん!わから~ん! イ・ムジチメンバーで上手なイタリア人なら誰でもいいのだー! どっちもアントニオだからイイじゃーん。
これ、当初はコンマスの隣の、ちょっと若め(30代?)の人がソリストだったのが、コンマスがソリストに変更になったって話だった。
おぉ、それって却って良かったんじゃ?
メンバー登場。
前半には登場しなかったチェンバロ奏者が先頭だ。
お腹ポッコリーノ・フトッチョリーノ・ハゲチャビーニだった。
全員が席につき、
構え、
コンマスがみんなを見て、
首とヴァイオリンを振り動かして、
ツー・タッタッタータタターーー♪
ぬぉぉぉおおおおおお~~~~~~~~~~~
秒殺で喜びと感動。またもや涙。
聴きなれてる、いや、ぶっちゃけ聴き飽きているほどの曲なのに、この新鮮な輝きは何だ!?
音が、空気が、空間が、キラめきまくり。
最初の方に出てくる、鳥のさえずり合いのようなヴァイオリンの掛け合い、
コンマスと、第2ヴァイオリンが見事なまでの掛け合いを見せた。
その音の強弱、間合い、至高の絶品だ。
もう、本当に、本当~に、堪らん。
そして、来るぞ来るぞ、速弾きのソロ。
ザザザザザ・ザザザザザ♪(←ソロ直前の盛り上がり)
チュルリラチュルリラルララ~♪
ッカーーー! ハンパねぇ~~~!チョーーーハンパねぇ~~~!
何だあのジジイ! いや、失敬。コンマスー!
スゲー! 老いてねぇーなー。 けど燻し銀だぜ~!カッケーぜ!
コンマスのソロは弾いてる様と共に俺のハートにぐっさり突き刺さったぜ。
あのコンマスなら抱かれてもいいかも。
↑左端がコンマス
感動に継ぐ感動。
ライブならではの絶妙な間合い取りにため息。
それぞれの楽器の音色にうっとり。
あのチェリストの無伴奏チェロ組曲(J.S.バッハ)が聞いてみたい。
コンバスはオーケストラでも重要なパートだが、その割に存在が地味でもある。
しかし、この少人数編成では、圧倒的な存在感。 ピチカートもやるんだ!(そりゃそうだろ) 山田パンダとは大違いだな。(比較すんな!ウッドベースだろー!)
チェンバロは微かにしか聞こえて来ないが、この微かな感じがかなり重要。
時にしっかりしっとりアルペジオも聞かせて、得も言えぬ感じだ。
4つの季節、3楽章ずつ、計12楽章、あっという間の演奏だった。
場内、割れんばかりの拍手。 「ブラボー!」も聞こえた。
笑顔で会釈をして彼らはステージを後にした。
もちろん拍手は鳴り止まず。
まずはコンマスがステージ上へ戻ってきて深々とお辞儀。
場内の拍手は30デシベルほどアップ。
コンマスの手振りで他のメンバーもステージへ。
一列に並び、客席へお辞儀。
しかしこれがまた、演奏ではあれだけの精緻な調和を見せたのに、お辞儀はてんでバラッバラ。
あまりにものバラッバラ感がおかしくて笑ってしまった。流石!イタリア魂だぜ!
アンコールに応えてくれると思いきや、これはお約束のご挨拶のみ。
彼らは引き下がってしまう。(これまたバラッバラ)
焦らさないでくれよ~。拍手レベルがまた上がる。
彼らは今度は楽器を持って現れた。
ここで初めてMCが入る。 コンマスではなく、チェリストがMC担当だ。
「アリガトゴザイマース。」そしてアンコール曲の紹介「トテモタノシイ キョクデース」
『ヴィヴァルディ作曲/シンフォニア ト長調よりアレグロ』 が演奏された。
ヴィヴァルディ得意の「グルグルグルグル♪」(←分かる人には分かるであろう表現)で確かに楽しい曲調。
あっという間におしまい。
拍手は鳴り止まない。
またまた挨拶に出てきて、そして再び楽器を持ってステージへ。
MC、「シアワセナ コドモノ ×××××」(聞き取れず)
そして始まった曲。 しっとりとした曲調、美しい。なんて曲だろう。
あ、「赤とんぼ」だ!
見事すぎるほどのアレンジだが、そうは言ってもこの曲が、こんなにも美しいメロディだったとは、今の今まで気づかなんだ!
拍手に送られて退場する際、コンバスとチェンバロがショートコントを演じていた。
「おい、お前太っちょなんだから、俺のコンバス持って行け」
「なんで俺が? 俺にお前のコンバス持って行けつーの?」
「そうだ、お前が持って行け」
てなことを身振り手振りでやりとりし、結局チェンバロのフトッチョリーノがコンバスを抱えて持っていく。
3曲目のアンコールで出てくる時、まずチェンバロ・フトッチョリーノがコンバス抱えてズカズカとステージを横切り、所定のポジションへ向かう。
コンバス奏者は最後に出てきて、弓を振り回しながらフトッチョリーノを追う。
「おぉ、グラッツィエ、さ、俺のコンバス返してくれ」
「やだ! 俺がコンバス弾く」
「そりゃ無理だよ、フトッチョリーノ」
「うるせー、俺が弾くんだ! な~んちゃって。ほらよ。」
といったようなやりとりが身振り手振りで行われてから双方所定の位置へ。
陽気なイタリアーノのしょーもないショートコントに会場は爆笑。
別に大しておもろくもねえのに、俺も手ぇ叩いて爆笑していた。ヒャ~ッヒャッヒャッヒャッヒャ!
MC、「チョト マッテ クダサーイ」とポケットからカンペを取り出し、読む。「ニホンゴ、モウ ワカリマセーン ボレロ!」
そして、ロッシーニの『ボレロ』(ラヴェルのボレロじゃないぞ)が演奏された。
やはり拍手は鳴り止まないが、次は挨拶にだけ戻ってきて、すべては終了。
いや~、本当~に、心から楽しみ、心から感動できた、素晴らしいステージだった。
俺はなんて幸せなんだろう。
あ、ずーっと前のめりだったんで、腰がカチコチに。
夕食時、リアクションいまいちだった娘に聞いてみた。
「この前、学校で行った鑑賞会と今日のイ・ムジチとどっちが良かった?」
「イ・ムジチ!」食い気味に即答。
「え?そうなん? オーケストラよりも良かったか?」
「この前のも良かったけど、イ・ムジチ見たら霞んじゃった」
お~っと、リアクションは薄いけど、ちゃんとそれなりに受け取れてはいるんだなぁ。
息子も偉そうに語り出した。
彼曰く、後半の『四季』の「春」は知ってる曲なので寝ないでちゃんと聴いていたそうだ。
「あんだけしか居ないのに、出てる音がすごかったよね。
おじいさんが凄く早く弾いてるのもすごかったね。
キュキュキュキュキュルキュルキュルルー」 と身振りも交えて。
「お前~、今日、初めてまともなコメントしたなぁ」
本当~に、究極の贅沢を満喫した我が息子。
半額とは言え決して安くはない。 でも、寝たからっつって「金をドブに捨てるような行為だ」などと非難するのも野暮ってもんだ。
そういうのも許容する心の余裕があってこそ、心から音楽を楽しめるってもんだろう。
それに、彼は彼なりの「イ・ムジチの思い出」を背負って行くんだろうし。
それはそれでアリってことにしておこう。
娘は微妙だなぁ。
「凄く良い」とは思っているが、感動はしてない様子だ。
表現が下手なだけかな? ま、いっか。
カミさんとはあれやこれやと、とっぷり話し合った。
そしてカミさん曰く、
「年配の夫婦とか結構いたでしょ。
心に余裕があって、仲も良くなかったら行けないよね。楽しめないし。
そう考えながら年配の夫婦見てたら、なんだかいいなぁって気分になったよ」
おぉ、そりゃそうだ。確かに。
俺はもう「イ・ムジチだイ・ムジチだ!あー!」ってテンパっちゃって、そこまで考える余裕は無かった。
余裕ってのは大事だな。うん。
俺は、仕事でだいぶテンパってるが、
流れ星とイ・ムジチのおかげで、心にたっぷり余裕ができた。
ただただ感謝だ。
ホールからステージを見て右側2階バルコニー席。
ステージを斜め上から見下ろす感じ。
公演間際で取った売れ残りチケットの割にはステージに近く、結構良い席だ。もしかしたら売れ残りじゃなくてキャンセル分か?
ステージには10脚のピアノ椅子が客席に向けて開くように半円形に並んでいた。
その右奥にチェンバロ(ハープシコードね)。
譜面台は8台。内1台は半円の右外。ん? あー!コンバス(コントラバスね)か。座って弾けないもんな。
ステージ上の椅子の並びを見ただけで、俺のテンションは急上昇。
すでに体勢前のめり。
「あー、コーフンしてきた。あー、コーフンしてきた。ハァハァハァ」
超ブレ写真だけど敢えて
そして開演。
ステージ袖のドアが開き、イ・ムジチメンバーが。
まずはコンバス、そしてチェロ2人、ヴィオラ2人、ヴァイオリン6人(第1・第2で3人ずつ)。 チェンバロはまだ出ないようだ。
あー、来た。あー、イ・ムジチだ! あー、あー、あー。
イ・ムジチという楽団名はお馴染みでも、そのメンバーは一人として顔も名前も知らない熱狂的邪道ファンな俺なのに、もう~嬉しくて嬉しくて、その時の俺ときたらまるで、ビートルズの初期、彼らを見て絶叫して失神した若い娘の如しだった。
許されるなら叫びたかった。 演奏前から「ブラボーーー!!!」ってね。マジで目が潤んで来た。
万雷の拍手に迎えられたメンバーは椅子の傍らに立ち、客席に会釈。
うん。深々とお辞儀ってんじゃない。けど、凄く心のこもった会釈。粋だぜ。
比較的若いメンバーが2人、オジサマが二人、あとはグレーか白髪でさらにハゲだ。
うぉ~、カッコいいぜ! 渋すぎるぜ~!
そして、コンバスは半円形の右外、チェロの後ろに立ち、それ以外が椅子に座り、
楽器を構え、
白髪頭のコンマス(コンサートマスターね。第1ヴァイオリンの首席奏者ね。ま、リーダーね。)の合図で、
最初の曲『リュートのための古風な舞曲とアリア』が、
鳴り出した。
あぁ~・・・・・・
先週水曜日、
近頃ずっとだが、この日は特に仕事が忙しく追い込まれ気味だった。
追い込まれるってのは癪なので、まったく動じてないフリをすることで俺以外のすべてを追い込んでやれなどと、支離滅裂な倒錯思考でその日を過ごし、夜になって、まだ帰れないもののちょっと一段落着いた、まさにその間隙を狙ったかのごとく、とあるルートから一通のメールが舞い込んだ。
25日(次の日曜日)、イ・ムジチのコンサート、みなとみらいホール(大)、売れ残りのチケット(S席)を半額で!
ぬわぁにをぉ~~~!
次の日曜日、先約はなかったはず。
速攻でカミさんにメール。速攻で返ってきた。「行くべ行くべー」
そして電光石火の早業で、S席チケット4枚発注。
流れ星の効能か神様からのプレゼントか?
いや、俺は無神論者だけど、とにかく知ってる限りすべての神と、宇宙の真理と愛に感謝した。
ちなみにこのルート、決してズルやインチキやコネなどのルートじゃない。
ちょっと普通じゃないけど正当なルートだ。
パンフレットの表紙の一部
イ・ムジチ合奏団はイタリアで1952年にナントカ音楽院の卒業生12人で結成された室内楽団だ。
指揮者を置かず、曲の解釈や奏法・表現などは学術的因習などに囚われず、自由に、メンバーによる合議制で決めている。
(指揮者についての薀蓄を垂れようと思ったが、長くなるのでやめた)
″イ・ムジチ″とは、″音楽家たち″という意味だ。
かの有名な、ヴィヴァルディの『四季』は、イ・ムジチが世界に知らしめた名曲だ。
その後、いろいろな楽団が『四季』を演るようになったが、イ・ムジチの『四季』を聴かずして『四季』は語れないほどなのだ。
ちなみに、歴史の長い楽団なので、コンマスが変わるたびに『四季』のCDが録音し直されてリリースされている。
ツウはイ・ムジチのすべての『四季』を聞き比べてあーだこーだと悦に入るらしい。 そのうち俺もやってみたい。
俺が自発的にクラシックを聴くようになったのは小6から中学1年あたりだっただろうか。
と言っても、そう積極的に聴いた訳じゃなく、ごくときたま、気が向くと NHK FM なんかで聴いたり、『題名のない音楽会』を観たりって程度だ。
その頃も当然、FM なんかで室内楽の特集があれば必ず出てくる言葉が ″イムジチ″だった。
特に春先にでもなればもちろんヴィヴァルディの『四季』、イムジチバージョンだし。
そんなこんなで、やがて俺のイメージの中では、「イムジチ」がブランドとして形成されていった。
事実、永きに渡って一定以上の水準と評価を保持していることは、これすなわちブランドなのだ。
「ブランド」を盲信するのではなく、きちんと評価した上で酔いしれることのできる者こそが、そのブランドを楽しむことができるのだ。 な~んちって。
とかなんとか言ってる割に、学校行事以外では ”正統な”クラシックのコンサートは今まで行った事がない。(正統じゃないのならいくつか)
イ・ムジチはいつか行ってみたいとは思っていた。
なぜ行ったことがなかったか。理由はいくつかある。
クラシックのコンサートって、、、
1. 心理的に敷居が高い
2. チケット代が高額
3. 情報があまり回って来ない
4. どうせ良い席なんか取れないっしょ? と勝手に思っている
5. 行きたいとは思うが、そのために努力してまでってほどでもない
今回、1は心意気の問題なので無視できるとして、それ以外はすべてクリアになった訳だ。
このチャンスを逃さない手はないだろう。
そんなこんなで、
チケット発注した時点から俺のテンションは上がりっぱなしだった。
勤務先の社長が聞いてきた。
「今度の土日は(出勤する/しない)どうしますか?」
俺は、土曜日はいつものごとく出勤するが、日曜日は、たとえそのためにその後一週間会社に泊まりになるとしても休みたい旨を伝えた。
「イ・ムジチ合奏団の公演に行くもので」
「おぉ、室内楽ですか。イイですねー。
でも、ちゃんと寝ておかないと聴きながら気持ち良くなって寝ちゃうよ。
まぁそれもまた最高の贅沢ってもんだけどね」
「アハハハ、そりゃ贅沢ですねー。ダハハハハ」
ステージを斜め上から見下ろす感じ。
公演間際で取った売れ残りチケットの割にはステージに近く、結構良い席だ。もしかしたら売れ残りじゃなくてキャンセル分か?
ステージには10脚のピアノ椅子が客席に向けて開くように半円形に並んでいた。
その右奥にチェンバロ(ハープシコードね)。
譜面台は8台。内1台は半円の右外。ん? あー!コンバス(コントラバスね)か。座って弾けないもんな。
ステージ上の椅子の並びを見ただけで、俺のテンションは急上昇。
すでに体勢前のめり。
「あー、コーフンしてきた。あー、コーフンしてきた。ハァハァハァ」
そして開演。
ステージ袖のドアが開き、イ・ムジチメンバーが。
まずはコンバス、そしてチェロ2人、ヴィオラ2人、ヴァイオリン6人(第1・第2で3人ずつ)。 チェンバロはまだ出ないようだ。
あー、来た。あー、イ・ムジチだ! あー、あー、あー。
イ・ムジチという楽団名はお馴染みでも、そのメンバーは一人として顔も名前も知らない熱狂的邪道ファンな俺なのに、もう~嬉しくて嬉しくて、その時の俺ときたらまるで、ビートルズの初期、彼らを見て絶叫して失神した若い娘の如しだった。
許されるなら叫びたかった。 演奏前から「ブラボーーー!!!」ってね。マジで目が潤んで来た。
万雷の拍手に迎えられたメンバーは椅子の傍らに立ち、客席に会釈。
うん。深々とお辞儀ってんじゃない。けど、凄く心のこもった会釈。粋だぜ。
比較的若いメンバーが2人、オジサマが二人、あとはグレーか白髪でさらにハゲだ。
うぉ~、カッコいいぜ! 渋すぎるぜ~!
そして、コンバスは半円形の右外、チェロの後ろに立ち、それ以外が椅子に座り、
楽器を構え、
白髪頭のコンマス(コンサートマスターね。第1ヴァイオリンの首席奏者ね。ま、リーダーね。)の合図で、
最初の曲『リュートのための古風な舞曲とアリア』が、
鳴り出した。
あぁ~・・・・・・
先週水曜日、
近頃ずっとだが、この日は特に仕事が忙しく追い込まれ気味だった。
追い込まれるってのは癪なので、まったく動じてないフリをすることで俺以外のすべてを追い込んでやれなどと、支離滅裂な倒錯思考でその日を過ごし、夜になって、まだ帰れないもののちょっと一段落着いた、まさにその間隙を狙ったかのごとく、とあるルートから一通のメールが舞い込んだ。
25日(次の日曜日)、イ・ムジチのコンサート、みなとみらいホール(大)、売れ残りのチケット(S席)を半額で!
ぬわぁにをぉ~~~!
次の日曜日、先約はなかったはず。
速攻でカミさんにメール。速攻で返ってきた。「行くべ行くべー」
そして電光石火の早業で、S席チケット4枚発注。
流れ星の効能か神様からのプレゼントか?
いや、俺は無神論者だけど、とにかく知ってる限りすべての神と、宇宙の真理と愛に感謝した。
ちなみにこのルート、決してズルやインチキやコネなどのルートじゃない。
ちょっと普通じゃないけど正当なルートだ。
イ・ムジチ合奏団はイタリアで1952年にナントカ音楽院の卒業生12人で結成された室内楽団だ。
指揮者を置かず、曲の解釈や奏法・表現などは学術的因習などに囚われず、自由に、メンバーによる合議制で決めている。
(指揮者についての薀蓄を垂れようと思ったが、長くなるのでやめた)
″イ・ムジチ″とは、″音楽家たち″という意味だ。
かの有名な、ヴィヴァルディの『四季』は、イ・ムジチが世界に知らしめた名曲だ。
その後、いろいろな楽団が『四季』を演るようになったが、イ・ムジチの『四季』を聴かずして『四季』は語れないほどなのだ。
ちなみに、歴史の長い楽団なので、コンマスが変わるたびに『四季』のCDが録音し直されてリリースされている。
ツウはイ・ムジチのすべての『四季』を聞き比べてあーだこーだと悦に入るらしい。 そのうち俺もやってみたい。
俺が自発的にクラシックを聴くようになったのは小6から中学1年あたりだっただろうか。
と言っても、そう積極的に聴いた訳じゃなく、ごくときたま、気が向くと NHK FM なんかで聴いたり、『題名のない音楽会』を観たりって程度だ。
その頃も当然、FM なんかで室内楽の特集があれば必ず出てくる言葉が ″イムジチ″だった。
特に春先にでもなればもちろんヴィヴァルディの『四季』、イムジチバージョンだし。
そんなこんなで、やがて俺のイメージの中では、「イムジチ」がブランドとして形成されていった。
事実、永きに渡って一定以上の水準と評価を保持していることは、これすなわちブランドなのだ。
「ブランド」を盲信するのではなく、きちんと評価した上で酔いしれることのできる者こそが、そのブランドを楽しむことができるのだ。 な~んちって。
とかなんとか言ってる割に、学校行事以外では ”正統な”クラシックのコンサートは今まで行った事がない。(正統じゃないのならいくつか)
イ・ムジチはいつか行ってみたいとは思っていた。
なぜ行ったことがなかったか。理由はいくつかある。
クラシックのコンサートって、、、
1. 心理的に敷居が高い
2. チケット代が高額
3. 情報があまり回って来ない
4. どうせ良い席なんか取れないっしょ? と勝手に思っている
5. 行きたいとは思うが、そのために努力してまでってほどでもない
今回、1は心意気の問題なので無視できるとして、それ以外はすべてクリアになった訳だ。
このチャンスを逃さない手はないだろう。
そんなこんなで、
チケット発注した時点から俺のテンションは上がりっぱなしだった。
勤務先の社長が聞いてきた。
「今度の土日は(出勤する/しない)どうしますか?」
俺は、土曜日はいつものごとく出勤するが、日曜日は、たとえそのためにその後一週間会社に泊まりになるとしても休みたい旨を伝えた。
「イ・ムジチ合奏団の公演に行くもので」
「おぉ、室内楽ですか。イイですねー。
でも、ちゃんと寝ておかないと聴きながら気持ち良くなって寝ちゃうよ。
まぁそれもまた最高の贅沢ってもんだけどね」
「アハハハ、そりゃ贅沢ですねー。ダハハハハ」
寝るわけないだろー!
イ・ムジチだぞーーー!
いや、実はその会話の時には正直俺も寝たら洒落んならんと思っていた。
だが、実際は、、、
前日は仕事上がりが午前3時少し前。(中学の同窓会、せめて3次会にでもと思ったが行けなかった)
帰宅して床に就いたのが4時過ぎ。
睡眠時間4時間で聴きに行ったのだが、「寝てしまったら」は杞憂だった。 テンション上がりまくりで、寝る訳ねーよ。
娘はクラシックにも興味を持っているし、最近、学校の催しで、同じホールでオーケストラを聴いたばかりなので大丈夫だろう。
息子は、、、おそらく寝るだろう。 じっとしていることができない彼は、じっとしてなければならない状況下に置かれると、脳が逃避行動を選択し、とどのつまり寝てしまうのだ。
何にせよ、聴く気もないのに連れて行ってもしょうがないので、本人らに意思確認したところ、二人共行きたいと言う。
そうか、ならば連れていこう。
そしていよいよ待ちに待った当日。
そぼ降る雨の中、車で現場へ。
ホールは巨大ショッピングモールの一角にある。
チケットは会場お取り置きシステム。
注文番号を伝えることで渡される。
ちなみにお取り置き手数料は一枚あたり315円。
カミさんは高い!と文句を言っていたが、チケット代が半額ならそれくらいどってことねーべ?
客層はやはり年配者が多い。
小学生高学年くらいの子連れを他に2組ほど見かけたが、さすがに低学年連れはいなかった。
ウチの息子は最年少だ。
キャパ約2千人のホール。
ステージ奥、つまり見た目正面にはカモメをモチーフにした巨大パイプオルガン。

ステージの高さはかなり低い。 1階席でもステージの上が無理なく見渡せるほどだ。
おそらくこれはオペラの舞台を考慮してのことだろうが、それ以外でも演者の足元まで無理なく見えるってのはいいことだ。
(冒頭部分からのつづき)
最初の曲『リュートのための古風な舞曲とアリア』が、
鳴り出した。
あぁ~・・・・・・
なんてことだろう。
半分以上は「イ・ムジチ」のブランド力で勝手に気持ちよくなるだけだろうって意識もあったのだが、ブランドはやはり、本物でなきゃそれをキープできないんだな。
もう最初の一音、一和音から魂を清められた。
俺は言うことが大袈裟だと言われることもしばしばだが、これに関しては「大袈裟」って概念さえぶっ飛ぶ。(それが大袈裟と言うんじゃ?)
なんて澄んだ音。
なんて澄んだ和音。
なんて精緻なアンサンブル。
濁りもうねりも一切ない、いや、プロなんだからあたりまえの遥か上を行くレベル。
今までも少人数編成や弦楽四重奏を生で聴いたことはあるが、格が違いすぎる。
マイクなど電子的機器を一切通さず、完全生音で、
一流の楽器を一流の奏者が一流の楽団の看板背負って一流の演奏をしているのだ。
それぞれの楽器の音が、それぞれに美しく芳醇な響きだ。
あまりの素晴らしさに、ただ涙。(マジで)
チェロによるピチカート(弦を指で弾く奏法)が入った。
俺は今まで、こんなにも美しく魂が震えるピチカートを聴いたことがない。
弦楽器のみの編成では、ピチカートがリズムのアクセントにもなり、ワクワク感を引き立たせる。
さらに、ヴィオラとチェロでピチカートによる掛け合いみたいなものがあった。
あーーー、もうダメだ。 失禁しそうだ。
最低音量から最高音量までのダイナミックレンジも生半可じゃない。
その差は一体、何デシベルですかーーー? あるいはそれはヘクトパスカルですかー? もうダメだー!
ピアニッシモのロングトーンの、真っっっ直ぐに澄みきった和音の見事なまでの調和は、もう奇跡のレベルだ。
至高の音、至高のアンサンブル、至高の調和、至高の間 に、ただただ魂を洗い清められ、為す術もなく感動。
そして涙。
息子は? 客席で斜めに伸びきって爆睡。 俺、それ見てさらに涙ジョボジョボー。
しかしあの、クラシックのコンサートって、楽章と楽章の間に、か・な・ら・ず、咳払いや咳をする客って居るのはどういう訳だろ?
一曲目が終わった。
なんて素晴らしい。
客席も一丸となり、見事な調和を見せての万雷の拍手・拍手・拍手。
曲自体も素晴らしかった。
タイトルは聞いたことがなかったが、曲はどこかで聞いたことがあるような。
作曲は、レスピーギ。 う~ん、俺は知らない人だ。 今度、CD買ってみようかな。もちろんイ・ムジチ版。
2曲目、3曲目とも、奇跡の演奏は続き、そして20分間の休憩に入った。
息子を起こす。
「おい、お前、今、来たことを一生自慢できるほどのものを聴きに来てるんだぞ」
そして娘に感想を聞いてみたが、いまいちリアクションが薄い。
まだちっと早かったかなぁ。
ロビーでは軽食やソフトドリンク、アイスクリームが売られている。
娘、「ねぇ、ジュース飲みたい。アイスクリーム食べた~い。ねぇねぇ、何か食べた~い飲みた~い」
「う~~~るせぇ!クソボケー! 水でも飲んどけーーー!!!」
良い気分を飲み食い話で邪魔されて、マジであったまきた。 リアクションが良ければアイスでも買ってやったのに。ハハ。
休憩時間が終わり後半へ。
後半はいよいよ、アントニオ・ヴィヴァルディ作曲、ヴァイオリン協奏曲集Op.8『四季』だ。
4つの季節がそれぞれ3楽章ずつ、合計12楽章で構成されている。
『四季』はヴァイオリン協奏曲。 なので、それぞれの季節にヴァイオリン・ソロがある。
その、ソロの部分を弾くソリストの変更のお知らせが開演前にあった。
「演奏者の希望により、アントニオ・アンセルミ からアントニオ・サルヴァトーレに変更になります。」
知ら~ん!わから~ん! イ・ムジチメンバーで上手なイタリア人なら誰でもいいのだー! どっちもアントニオだからイイじゃーん。
これ、当初はコンマスの隣の、ちょっと若め(30代?)の人がソリストだったのが、コンマスがソリストに変更になったって話だった。
おぉ、それって却って良かったんじゃ?
メンバー登場。
前半には登場しなかったチェンバロ奏者が先頭だ。
お腹ポッコリーノ・フトッチョリーノ・ハゲチャビーニだった。
全員が席につき、
構え、
コンマスがみんなを見て、
首とヴァイオリンを振り動かして、
ツー・タッタッタータタターーー♪
ぬぉぉぉおおおおおお~~~~~~~~~~~
秒殺で喜びと感動。またもや涙。
聴きなれてる、いや、ぶっちゃけ聴き飽きているほどの曲なのに、この新鮮な輝きは何だ!?
音が、空気が、空間が、キラめきまくり。
最初の方に出てくる、鳥のさえずり合いのようなヴァイオリンの掛け合い、
コンマスと、第2ヴァイオリンが見事なまでの掛け合いを見せた。
その音の強弱、間合い、至高の絶品だ。
もう、本当に、本当~に、堪らん。
そして、来るぞ来るぞ、速弾きのソロ。
ザザザザザ・ザザザザザ♪(←ソロ直前の盛り上がり)
チュルリラチュルリラルララ~♪
ッカーーー! ハンパねぇ~~~!チョーーーハンパねぇ~~~!
何だあのジジイ! いや、失敬。コンマスー!
スゲー! 老いてねぇーなー。 けど燻し銀だぜ~!カッケーぜ!
コンマスのソロは弾いてる様と共に俺のハートにぐっさり突き刺さったぜ。
あのコンマスなら抱かれてもいいかも。

感動に継ぐ感動。
ライブならではの絶妙な間合い取りにため息。
それぞれの楽器の音色にうっとり。
あのチェリストの無伴奏チェロ組曲(J.S.バッハ)が聞いてみたい。
コンバスはオーケストラでも重要なパートだが、その割に存在が地味でもある。
しかし、この少人数編成では、圧倒的な存在感。 ピチカートもやるんだ!(そりゃそうだろ) 山田パンダとは大違いだな。(比較すんな!ウッドベースだろー!)
チェンバロは微かにしか聞こえて来ないが、この微かな感じがかなり重要。
時にしっかりしっとりアルペジオも聞かせて、得も言えぬ感じだ。
4つの季節、3楽章ずつ、計12楽章、あっという間の演奏だった。
場内、割れんばかりの拍手。 「ブラボー!」も聞こえた。
笑顔で会釈をして彼らはステージを後にした。
もちろん拍手は鳴り止まず。
まずはコンマスがステージ上へ戻ってきて深々とお辞儀。
場内の拍手は30デシベルほどアップ。
コンマスの手振りで他のメンバーもステージへ。
一列に並び、客席へお辞儀。
しかしこれがまた、演奏ではあれだけの精緻な調和を見せたのに、お辞儀はてんでバラッバラ。
あまりにものバラッバラ感がおかしくて笑ってしまった。流石!イタリア魂だぜ!
アンコールに応えてくれると思いきや、これはお約束のご挨拶のみ。
彼らは引き下がってしまう。(これまたバラッバラ)
焦らさないでくれよ~。拍手レベルがまた上がる。
彼らは今度は楽器を持って現れた。
ここで初めてMCが入る。 コンマスではなく、チェリストがMC担当だ。
「アリガトゴザイマース。」そしてアンコール曲の紹介「トテモタノシイ キョクデース」
『ヴィヴァルディ作曲/シンフォニア ト長調よりアレグロ』 が演奏された。
ヴィヴァルディ得意の「グルグルグルグル♪」(←分かる人には分かるであろう表現)で確かに楽しい曲調。
あっという間におしまい。
拍手は鳴り止まない。
またまた挨拶に出てきて、そして再び楽器を持ってステージへ。
MC、「シアワセナ コドモノ ×××××」(聞き取れず)
そして始まった曲。 しっとりとした曲調、美しい。なんて曲だろう。
あ、「赤とんぼ」だ!
見事すぎるほどのアレンジだが、そうは言ってもこの曲が、こんなにも美しいメロディだったとは、今の今まで気づかなんだ!
拍手に送られて退場する際、コンバスとチェンバロがショートコントを演じていた。
「おい、お前太っちょなんだから、俺のコンバス持って行け」
「なんで俺が? 俺にお前のコンバス持って行けつーの?」
「そうだ、お前が持って行け」
てなことを身振り手振りでやりとりし、結局チェンバロのフトッチョリーノがコンバスを抱えて持っていく。
3曲目のアンコールで出てくる時、まずチェンバロ・フトッチョリーノがコンバス抱えてズカズカとステージを横切り、所定のポジションへ向かう。
コンバス奏者は最後に出てきて、弓を振り回しながらフトッチョリーノを追う。
「おぉ、グラッツィエ、さ、俺のコンバス返してくれ」
「やだ! 俺がコンバス弾く」
「そりゃ無理だよ、フトッチョリーノ」
「うるせー、俺が弾くんだ! な~んちゃって。ほらよ。」
といったようなやりとりが身振り手振りで行われてから双方所定の位置へ。
陽気なイタリアーノのしょーもないショートコントに会場は爆笑。
別に大しておもろくもねえのに、俺も手ぇ叩いて爆笑していた。ヒャ~ッヒャッヒャッヒャッヒャ!
MC、「チョト マッテ クダサーイ」とポケットからカンペを取り出し、読む。「ニホンゴ、モウ ワカリマセーン ボレロ!」
そして、ロッシーニの『ボレロ』(ラヴェルのボレロじゃないぞ)が演奏された。
やはり拍手は鳴り止まないが、次は挨拶にだけ戻ってきて、すべては終了。
いや~、本当~に、心から楽しみ、心から感動できた、素晴らしいステージだった。
俺はなんて幸せなんだろう。
あ、ずーっと前のめりだったんで、腰がカチコチに。
夕食時、リアクションいまいちだった娘に聞いてみた。
「この前、学校で行った鑑賞会と今日のイ・ムジチとどっちが良かった?」
「イ・ムジチ!」食い気味に即答。
「え?そうなん? オーケストラよりも良かったか?」
「この前のも良かったけど、イ・ムジチ見たら霞んじゃった」
お~っと、リアクションは薄いけど、ちゃんとそれなりに受け取れてはいるんだなぁ。
息子も偉そうに語り出した。
彼曰く、後半の『四季』の「春」は知ってる曲なので寝ないでちゃんと聴いていたそうだ。
「あんだけしか居ないのに、出てる音がすごかったよね。
おじいさんが凄く早く弾いてるのもすごかったね。
キュキュキュキュキュルキュルキュルルー」 と身振りも交えて。
「お前~、今日、初めてまともなコメントしたなぁ」
本当~に、究極の贅沢を満喫した我が息子。
半額とは言え決して安くはない。 でも、寝たからっつって「金をドブに捨てるような行為だ」などと非難するのも野暮ってもんだ。
そういうのも許容する心の余裕があってこそ、心から音楽を楽しめるってもんだろう。
それに、彼は彼なりの「イ・ムジチの思い出」を背負って行くんだろうし。
それはそれでアリってことにしておこう。
娘は微妙だなぁ。
「凄く良い」とは思っているが、感動はしてない様子だ。
表現が下手なだけかな? ま、いっか。
カミさんとはあれやこれやと、とっぷり話し合った。
そしてカミさん曰く、
「年配の夫婦とか結構いたでしょ。
心に余裕があって、仲も良くなかったら行けないよね。楽しめないし。
そう考えながら年配の夫婦見てたら、なんだかいいなぁって気分になったよ」
おぉ、そりゃそうだ。確かに。
俺はもう「イ・ムジチだイ・ムジチだ!あー!」ってテンパっちゃって、そこまで考える余裕は無かった。
余裕ってのは大事だな。うん。
俺は、仕事でだいぶテンパってるが、
流れ星とイ・ムジチのおかげで、心にたっぷり余裕ができた。
ただただ感謝だ。
どもです
返信削除クラッシック、オーケストラのコンサートいいですよね
俺も何回か行ったけれど
普通のロックや野外コンサートとまったく違って雰囲気もいいですよね
奥様の
>年配の夫婦とか結構いたでしょ。
心に余裕があって、仲も良くなかったら行けないよね。楽しめないし。
そうなりたいです
夫婦の心の余裕って軽く言葉に出せないけれど
やっぱり“愛”なのかな
クラッシックやオペラのコンサートに
仲のよい夫婦で出かける
素晴らしい時間だとおもいます。
川上ぃ~! コメントどーもありがとー!
返信削除こんな、アホみたいに長いの読んでコメントまで入れてくれちゃって感謝っす。
もうウハウハで書かずにいられなくてねぇ。
初稿はこの1.5倍くらいあったんだけど、これでも削いで削いでここまでになりましたわ。
> クラッシック、オーケストラのコンサートいいですよね
いいよねー。
> 普通のロックや野外コンサートとまったく違って雰囲気もいいですよね
あぁ、雰囲気はいいけど、それはロックでもなんでもそれはそれで「雰囲気」はいいっしょ?
ノリの違いを楽しむってのはあるけどね。
> 夫婦の心の余裕って軽く言葉に出せないけれど
> やっぱり“愛”なのかな
控えめに言ってもそれは大前提だわねぇ。
> クラッシックやオペラのコンサートに
> 仲のよい夫婦で出かける
> 素晴らしい時間だとおもいます。
素晴らしいよねー。
んで、ハーレーで流れ星見に行ったりとかさ。いいねー。