Don't think. Feel. by Bruce Lee
例えば友人から訳の分からん話をされ、それをブログに書く場合、
「訳の分からんことを言っていた」と書いたら、その友人は気ぃ悪くするだろう。
そんな時は、
「彼なりの、哲学的見解を述べていた」と書けば良いのだと思い付き、なかなか名案だと一人ほくそ笑んでいるこの俺さ。
前回のトピックにて、川上氏宅で友人ら4人で集まって盛り上がった話を書いた。
帰り、川上邸から駐車場まで、川上氏、どぼちょんB氏、そして俺の3人で夜道を歩いていると、川上氏が語り始めた。
「勝ち組とか、イイ車乗ってるとか、イイ家に住んでるとか、、、そんなことよりも、本当に幸せな人ってのはさ・・・」
この後彼は、川上世界観による、「幸せ」に関する彼なりの哲学的見解を述べた。
象徴的な意味合いなのだろうとは思ったが、全然解んなくて笑った。
(今日アップされた彼のブログトピックが、まさにそのテーマ!)
すると、どぼちょんB氏、
「つーか、それこそ、タイケーみたいなのは本当に幸せだと思うね。
ああいう風に考えたり、思ったり、解ってても普通はできないからみんな悩むんだ」
「あぁ、そうね、思ったモン勝ちってとこあるやね、俺」 と返す俺。
しかしこれ、本当の意味で哲学的洞察に富む見解だわなぁ。
いや、どぼちょんB氏が言っているのは、一般的な”みんな”が定常状態で不幸を意識しているという意味ではないけどもね。
このフィーリング、微妙だね。
「幸せ」って、考えれば考えるほど単純かつ壮大で、それこそ哲学的テーマだね。
だからこそ宗教も絡んできたりする訳で。
翌日、カミさんと軽いノリでこの件に関して話し合ってみた。
川上氏による哲学的見解は、カミさんもウケていた。
で、カミさんと話した内容を要約すると、
幸せに、指標や基準や目標やさらには比較対象などを定めてしまうと、逆にそれは虚しいものになるよな。
理由など考えず、ただ素直に「感じ」ることじゃないのか?
ということだ。
これまたある意味哲学的見解だな。ハハ!
その場に娘も居たので話を振ってみた。「な、そうだろ?」
すると娘、「幸せ~って何だぁっけ何だぁっけ♪」
そんな一連の考察の末に浮かんできたのが、ブルース・リーの映画『燃えよドラゴン』でのセリフ、
"Don't think. Feel." 「考えるな。感じろ」
これは実に哲学的示唆に富んだ良い言葉だと改めて思ったねぇ。
いずれにせよ「幸せ」の定義や意識はごくごく個人的なものであって、他人と比べるのも、他人の幸不幸を判断するのもナンセンスだよな。
「幸せだと思わなきゃバチが当たるね」と思い込むのもちょっと違うし。
さらには「幸せとは何か」を人に押し付けるのも余計なお世話でさ。(語る分には自由だが)
でも祈ったりはするけどね。
ただ突き詰めて考えると、この「幸せ」を祈るって行為も微妙だったり?
「幸せ」って言葉が強すぎるんだろうか? 「安寧」くらいがチョードイイホンダ?
おっと、事態は泥沼化の様相を呈して参りました。
最後に、この際ナンセンスで余計なお世話なのは承知の上で、ブルース・リーよりさらに一歩進めた俺の個人的な哲学的見解を述べちまおうかと。
幸せって、
ただ 気付く こと
かなと。
そんな呑気な事言ってられるあんたは、本当に幸せだよぉ って聞こえてきそうだ。
幸せぇ~って何だぁっけ何だぁっけ♪
どもです!
返信削除>「訳の分からんことを言っていた」と書いたら、その友人は気ぃ悪くするだろう。
気ぃ悪くしないしない(^-^)
俺の場合だけど 逆に気ぃ良いです 笑
「あいつ訳わかんねー」「あいつ何考えてんのかわかんねー」
って常に言われたい願望があるですやん。
>「彼なりの、哲学的見解を述べていた」と書けば良いのだと思い付き、なかなか名案だと一人ほくそ笑んでいるこの俺さ。
哲学は大好きだす
訳わかんねーから ダハハ 笑
>「あぁ、そうね、思ったモン勝ちってとこあるやね、俺」 と返す俺。
思ったモン勝ちか、でも思えないほどひどい状況の人もいるわけで
そこであえてドボチョンさんはタイケに言ったのではないだろうか?
>このフィーリング、微妙だね。
うん、微妙だすね…
>「幸せ」って、考えれば考えるほど単純かつ壮大で、それこそ哲学的テーマだね。
うんうんなるほど…
>だからこそ宗教も絡んできたりする訳で。
だすね
誤解を招くかもしれないけれど
「宗教」って「幸せ」を利用していると思う…
なので変な宗教にハマっちゃったりだまされるのかね?
>理由など考えず、ただ素直に「感じ」ることじゃないのか?
そうなんだけどね、難しいなー 笑
やっぱ 俺は素直じゃないのカニ。
それにしても奥様とのお話合い素晴らしいですね!
>"Don't think. Feel." 「考えるな。感じろ」
うん、まさにだね
でも
これができない人がほとんどだから
このセリフがあると思う…
>いずれにせよ「幸せ」の定義や意識はごくごく個人的なものであって、他人と比べるのも、他人の幸不幸を判断するのもナンセンスだよな。
比べるのも判断もナンセンスだね
個人的なものか…
アインシュタインの相対性理論だ
すげーな、、、相対性理論に「幸せ」の答えがあったりして…
>でも祈ったりはするけどね。
素晴らしい
人様の幸せを祈ると結局は自分に返ってくるんだよね
見返りを求めて祈っちゃうのはそれこそナンセンスだと思うけど…
う~んどうしても宗教臭くなっちゃうなぁ…
>幸せって、
ただ 気付く こと
かなと。
気づきか、難しいねータイケ…
常に「感謝」していたり人の喜ぶことを考えていると
幸せに気付くような気がする。
>幸せぇ~って何だぁっけ何だぁっけ♪
すごいよね、いろいろな角度から考えさせられちゃう言葉です
ちょっとズレちゃうけど
♪幸せぇーっていうことはー、いつもいつも美味しいっていうことで~特別なことではありません~♪
なんてCMあったけど
いつもいつも毎日美味しくご飯を頂けるってことは本当に幸せなことだと思う…
それにはやはり「歩く」こと「歩ける」ことなんだろうか…
考えすぎないで"Don't think. Feel." なんだろうか…
川上ぃ~! コメントどーもありがとー!
返信削除> 思ったモン勝ちか、でも思えないほどひどい状況の人もいるわけで
> そこであえてドボチョンさんはタイケに言ったのではないだろうか?
それは全然ちゃうべ。
状況言い出したら成立しないでしょ、この話。
例えばこの話、今、ハイチの人たちの前でこの話できるかったらできないっしょ。
どぼちょんBさんの言ってるのは状況云々じゃなくて、突き抜けた能天気性ゆえの幸せってことでしょ。
> 「宗教」って「幸せ」を利用していると思う…
俺は基本的にはそうじゃなくて、宗教ってのは「幸せ」を提示してくれてるんだと思うね。
もしくは定義してくれてると。 「してくれてる」ってとこがミソね。
してほしい人のために。
> なので変な宗教にハマっちゃったりだまされるのかね?
いずれにせよ、それは大いにあるね。
> >理由など考えず、ただ素直に「感じ」ることじゃないのか?
>
> そうなんだけどね、難しいなー 笑
> やっぱ 俺は素直じゃないのカニ。
いやいや、これは俺とカミさんの見解というか共通認識であって、他の人への問いかけじゃないよ。
> >"Don't think. Feel." 「考えるな。感じろ」
>
> うん、まさにだね
> でも
> これができない人がほとんどだから
「できない」んじゃないと思うけどね。 さらには「ほとんど」ではないと思うけどな。
> アインシュタインの相対性理論だ
ちゃうわ。 あれは絶対的な基準の向こうの相対性じゃないかい。
> >でも祈ったりはするけどね。
>
> 素晴らしい
いや、素晴らしいけど微妙でね、
「幸せ」が個人的なことだっていうなら、幸せを祈るって、己の価値観や幸福の観念の押し付けにならんか?って意味を含んでたりしてってことでさ、いや、実際はそうじゃない方が圧倒多数だと思うんだけど、そういう側面も持ち合わせやしないか?ってね。
> 気づきか、難しいねータイケ…
難しいと思う心が難しくしてるのさ。
> 常に「感謝」していたり人の喜ぶことを考えていると
> 幸せに気付くような気がする。
それってある意味見返り匂うじゃん。 いや、もちろん大事なことだけどね。
じゃなくて、フツーに、あ、幸せだったんだ、俺 って気づくシンプルさを言っているのさ。
逆に言えば、なぜ幸せだと言えないんだ?って話でもあってさ。その「幸せじゃない」理由がどれほどのもんなんだ?ってよくよく見つめ直してみたら何か見えて来ないか?ってのもあったりはするのさ。
だから面倒くせえから Don't think. Feel. ってね。
って俺の個人的な哲学的見解って話だぞ。
> いつもいつも毎日美味しくご飯を頂けるってことは本当に幸せなことだと思う…
だろ? 気づいたじゃん。 単純にそういうのの積み重ねだと思うんだよ、俺は。
> それにはやはり「歩く」こと「歩ける」ことなんだろうか…
普遍的なことではないと思うけど、川上はそうなんじゃね?
> 考えすぎないで"Don't think. Feel." なんだろうか…
って考えてんじゃん。考えんなって。