2008年8月28日木曜日

ラット脳細胞ロボットはチーズの夢を見るか?

モワモワモワ~

8月14日に配信されたニュース、
英国レディング大学、培養ラット脳細胞でロボットを操ることに成功」。

各種マスコミやネット上でも配信されたので、目にした人は多いと思う。

このニュースを目にした時の俺のリアクションは、
「え゛ぇ!そりゃあスゲー!!! けど怖えー! つーか、わかんねー」
ってところだった。

すぐにブログに書きたいと思ったものの、自分の中で整理が付かず、すぐには書けなかった。
未だに整理は付いてないのだが、やっぱし書くだけ書いてみようかと・・・


培養したラットの脳細胞と電気信号を入出力する容器(左上)と、その信号で動くロボット(英国レディング大提供)


ロボットは、運動系としては二輪走行するだけの単純なものだ。(前後二輪じゃなく、左右二輪)
感覚系として障害物センサーが付いていて、障害物に近づいた時やぶつかった時に信号を発する。

培養したラットの脳細胞を60個の電極がついた8センチ四方の電極アレイに敷き、脳細胞からの信号を取り出したり、脳細胞へ信号を送ったりできるようにする。
これらをロボットの運動制御のための出力系と、ロボット側の障害物センサーからの入力系に割り当て、無線通信による信号のやり取りでロボットを動かす。

研究者は、脳細胞からの適当な信号をタイヤの駆動に割り当てたんだろうな。
どういう信号をどういう風に選別してどういう理由で割り当てるんだろ?・・・

で、とにかくロボットは脳細胞アレイからの信号を受けて、タイヤを動かす。つまり「自走」するようになった。

さて、
動き出したロボットは、備わっているセンサーが障害物を捕らえると、これを信号化して脳細胞へ送る。

脳細胞はその信号を受ける。
脳細胞に信号を送るって、具体的にどういう按配なんだろ?・・・


とにかくこのようなカラクリで、始めの内は障害物にぶつかっていたロボットが、やがて障害物を避けて走るようになったと言うのだ。

つまり、脳細胞が学習したのだと。

え゛ぇ~っ! う~ん・・・ 凄く解るようでまったく解らん。

学習して障害物を避けるようになったってことはだよ、
「障害物にぶつかる」という事をマイナス評価として扱う思考プロセスが必要なんじゃないのかね?

いや、思考まで行かなくても、単純な判断プロセスは必要だよな・・・
判断の材料になる評価が必要なんだよな、「ぶつかる」=ダメ 的な。もしくは「ぶつからない」=GOOD的な。

その辺りはどーなってんんだろ?・・・

「経験」という「記憶」も蓄積されなけりゃならないし、そこから「解決法」を見出すプロセスって?・・・
学習して、ぶつからないで走れるようになった状態の、脳細胞へのフィードバックってあるんだろうか?
人間で言えば、「ぶつからないで走れて気持ちいい」って感情とか状態を想像できるんだが、こんな原始的なカラクリにそれを当てはめるってのが想像できない。

「うまく走れてる」というフィードバックなしに、なぜ走り続けようとするのか?
いや、走り続けようって「意思」が働いてる訳じゃあるまいし・・・
動くことの「意味」を「思考」してる訳でもないし。

何なんだ?一体・・・
それは「生命」なのか?・・・
そこには原初的にでも「思考」や「意思」が誕生する余地が存在しているのか?・・・


・・・いや、ちょっと待て。 冷静になろう。


ん?そんなに複雑なもんじゃないぞ、これ。

ネットで更なる情報を探し回ってたら、YouTubeで動画を発見。


障害物 - 壁 を「避ける」動作が一様だ。

つまりこれ、
センサーからの信号の入力に対する「反応」として出るようになった信号を、研究者が、この一連の動作(90度右に方向転換)に結びつけた って話だろう。

で、ロボット君、避ける以外の動きって直進しかしてない。
俺はまた、左右独立の駆動系で、それぞれに脳からの信号を割り付けてるんだと思ってた。
そうじゃなくて、結構単純だな。


こういうのを「学習」って言うんだろうか?
甚だ疑問だ。
ただ単に、ある信号(刺激)に対する反応(リアクション)って話じゃないのか?

いやいや、う~ん・・・

要するに高次な脳ってのも、こういう単純な回路の 重なり・組み合わせ・シナプスネットによる共同 ってことなのかな?
「脳」自体が高次に複雑化・高機能化したんじゃなく、単純な回路が複雑に組み合わさった挙句に、例えば、今、俺はこんなこと考えて書いてるのかな?

虫の動きなんてのも、このロボットに比べたら物凄く複雑系だけど、よくよく考えると「反応」でしかない。
外部からの信号の入力(視覚・触覚・感覚など)に対する反応を行動として出力してる訳さ。

もっと高次な脳になると、出力は必ずしも行動とは限らず、それが思考とか自意識とか感情とか想像やら創造になるんじゃないのかね?
何十億年も掛けて、ここまで複雑に組み上がって来たってことなんだわね。

なんて考えてると、一体どこからが「生命」なんだろ?とか考えちゃう。
逆に、ヒトを含めたすべての生命活動が無機質なものに思えてきちゃったり。

あ、べらぼうに面白いけど、チョー怖え~・・・ ヤバいな。

やっぱ、、、大切なのは、愛と感謝だねぇ。
(回路、ショートしました モワモワモワ~)

2 件のコメント:

  1. どもです

    んーこれねー
    とっくりと一晩でも二晩でも話したいです

    >怖えー!

    本当ですね、この言葉に凝縮です

    >つまり、脳細胞が学習したのだと。
    え゛ぇ~っ! う~ん・・・ 凄く解るようでまったく解らん。

    頭こんがらがります
    というか、理解不能です・・・

    心とか精神の概念もいずれ変わってきちゃうのかな
    「意味」「意思」「思考」
    あー怖いっす

    >やっぱ、、、大切なのは、愛と感謝だねぇ。

    うんうん!、愛と感謝は永遠に不変ですね!

    返信削除
  2. 川上ぃ~! コメントどう~もありがとうな~のだ!

    > 心とか精神の概念もいずれ変わってきちゃうのかな

    概念は変わらないでしょう。
    でもカラクリが解明される日は来るかもしれませんね。

    > 「意味」「意思」「思考」
    > あー怖いっす

    うん。
    なんだかこの研究見て思うに、
    脳細胞ってのは結構単純な回路 - 入力→反応→出力 - であって、それが沢山組み合わさって複雑な機能を有するようになってるんじゃないかと。
    だから、生物の動きって、外部からの入力とそれに反応した出力(動作)てのが基本なんだなぁと。
    で、高等生物になると、外部からの入力だけじゃなく、内部からも信号を発生させて入力信号にして、それに対するリアクション(反応)として色々やらかしてるんじゃないか?と思うのよね。
    つまりそれが、意思とか自意識とか感情とか思考とか思想とか想像とか創造とかそういったものなのかなと。
    そう考えるとヒトの知的活動も、どってことないことのようにも思えてくるし、また逆に、途轍もなく物凄いことだとも思える。
    単純な回路が何十億年も掛けて数多く複雑に組み上がった結果生まれてきた途轍もなく得体の知れないもののために、ヒトはヒトたり得るのよね。
    あ~、ロマンだね~。そして同時にホラーだね~。


    > うんうん!、愛と感謝は永遠に不変ですね!
    んだんだ。まったくですだ!

    返信削除

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