2009年3月30日月曜日

『VOICE』観て涙して尊厳死について考える(シーズン II)

クールでヘヴィー

※ご注意※
長い上、ちょいちょいヘヴィーな内容のトピックです。
人によっては読んで気ぃ悪くすることもあるやもしれません。


今日(日曜日)は『ソレイユの丘』に遊びに行ったのだが、それより先に シーズンII書かなきゃじゃん。

やっぱあれだな。 こういうヘヴィーなテーマは一気にバーっと書いちゃった方がイイな。
変な間ぁ空けちゃったもんで、あれこれ考えて、なんだか考えがまとまんなくなっちった。
まぁそれでも書いてみっか・・・

尊厳死。
日本では現在、消極的な尊厳死は認められている。
治癒の見込みがなく、本人の意識もなく、自発呼吸もできないような場合、ただ生きながらえるだけの延命治療は ・・・<しない>という選択をすることができる。
これも尊厳死である。
そして、その”選択”をするのは本人だ。
意識がしっかりしている時にそういったことを表明しさえすれば良い。
というか、ぶっちゃけ、家族が「以前、本人がそう言ってました」と言えばそれでOKだ。
そのような状態になった時、家族にとってそれが何を意味するのかってのは別問題として・・・。

もう一歩踏み込んだ尊厳死としては、
何かの病気の末期的な症状など、つまり治癒の見込みがなく、甚大なる苦痛が継続するような場合、
副作用により存命期間が短くなることを承知の上で、病気の治療ではなく、苦痛を緩和することに注力した治療を行うといったものがある。
これには本人の明確な意思の表明とその証明が必要なようだ。
書類のフォームもあるらしい。

認められているのはここまで。
さらに踏み込むと、医師側は自殺幇助罪や殺人罪で起訴されることになる。

耐え難い痛み等から逃れるため、または、前回書いたドラマのパターンのように、自分が自分でなくなることから逃れるために、治療ではなく直接的な死(安楽死)を選ぶと言うものだ。

うん、、、これは難しい。
決して安易に認めてはいけないだろう。 けど、仮に自分が・・・と考えると、そういう選択肢もあれば良いと思う。
そういう選択って、自殺とどう違うの? 何ら変わらないんじゃ?・・・
うん、自殺ってのはぜってえしちゃならん事だと思ってる。
けど、、、もうここまで来たら・・・って、その「ここ」って「どこ」なん? ・・・線引きが難しい。

医師と患者間の相当な信頼関係が必要だろうな。
認められる必要要件も厳しいものになるだろう。
それに対する家族の捉え方も影響するし。

いやいや、待て待て、耐え難い苦痛云々はまだ解るが、あのドラマみたいに「自分が自分であるうちに」なんてえのは完全に自殺だろ? 甘ったれた事言ってんじゃねー
といった向きもあるかと思う。

実はここが一番語りたいポイントなんだなぁ。

難しいねぇ。
筆舌に尽くしがたく耐え難い苦痛・・・に比べたら、なんと贅沢で甘甘な話だってことになるわな。

でも、俺には「自分が自分である」ってのは何しろ大事であって、それが損なわれても生きているというのは、、、実に耐え難い。
いや、そうなったらもうわかんねーんだからイイじゃん。耐え難いとかって話じゃないじゃん と言う人も居た。
うん、いや、そうなってから耐え難いと思うんじゃなく、そうなることが耐え難いから、そうなると解った時点で、、、尊厳死が選べたら・・・と思うのだ。

結局、医師の手を借りた態の良い自殺じゃん。
手を下す医師や、それを認める家族にも、相当な精神的負担を強いることにもなる。

やっぱ難しいねぇ。


ちなみに、、、
このブログにも以前チラっと書いたが、昨年、俺の養父が亡くなった。
直接の死因は肺炎によるものだったが、彼は重度のアルツハイマー型認知症だった。

俺と養父との関係はかなりクールでドライだったもので、俺は彼が発症してから逝くまでの1年9ヶ月をかなり冷静に客観的に見つめた。

認知症は徐々に徐々に進行していったようだ。
実家の近所に住む叔母(養父からみて妹)の色々な話を後で分析するとそうなる。
あれって、本人も家族もそれを認めたくないって心理が働いて、発見が遅くなるんだな。
大分様子がおかしい。まさか認知症じゃ? と疑い出した頃はもうかなりのレベルだったようだ。
だがしかし、まだその時は意思の疎通ができていたのだ。

本当に、後から思うと、、、
彼はギリギリまで認知症と戦い、そして敗北し、最後に彼にとっての ”尊厳” の糸が切れた瞬間から、その症状は爆発的な進行を見せたように思える。
”尊厳”って大切なんだ。

爆発的に進行してからの彼は、
”記憶”も ”人格”も、そして彼にとっての”自己同一性”も崩壊しているように見えた。
自己同一性てのは、簡単に言うと、生まれてこのかた、昨日も今日も明日も、自分はずっと自分だという意識や認識を持つことだ。
(心理学上のそれはもっと色々小難しい意味がある)


トピック冒頭にも ”ご注意” を書いたが、さらに、、、
ご家族に認知症患者を持つ方、持ったことがある方、このトピックは俺が思ったことを書いてるのであって、あれはこうだなどと何かを断じている訳ではありません。
この先を読んで、気を悪くなさらないことを願います。(というか、読まない方が良いかも)


そんな彼を見て俺が思ったのは、

もはや彼はそこに居ない・・・ってことだ。

クールでヘヴィーで残酷なことを言ってるようだが、、、正直、そう思っちゃったのだ。
俺と彼との関係性が大きく影響していることは確かだろう。
もっと親密な仲であったならば、また別の意識や感情を持ったかもしれない。
が、、、まぁ、、、基本的にクールなんだろう。俺って。

とは言え、だからと言って彼を蔑ろにしたり、いい加減に対処したって訳じゃない。
むしろクール つまり冷静に、悪く言えば事務的に、すべてに対処していった。


と、まぁ、そんなことがあり、それ以前から持っていた「自分が自分でなくなることへの恐れ」は増幅されたのだった。
自己の尊厳もさることながら、仮に俺がそうなってしまった場合、その肉体が俺であるとの幻想を抱いて悲しんだり辛く思ったりする家族を思うと堪らない。
であるので、それを理由に選択する尊厳死は俺には自殺と思えず、あくまでも「尊厳死」であり、あのドラマはずし~んと来た。


どうやら、尊厳死をもうちょいと踏み込んだレベルで認めようじゃないかという趣旨の法案が出されるような動きがあるらしい。
一方で、尊厳死を認める法案成立を阻止する会などという妙な会も存在するらしい。
難しい問題だし、そうそう簡単に決まっちゃならないのかも知れないが、議論するならまだしも、闇雲な反対はどうかと思う。
必要としている人達も居るんだし、もしそういう選択肢ができれば、本来はできなかった、家族への「さよなら」を言ってから逝けることもあるかも。

でも、、、こういうのは縁起でもないっつって語ったり書いたりし難いものだが、、、仮に俺じゃなくて家族で置き換えて考えてみたら・・・
あ~、難しい。泣いちゃうから結論保留。
となると俺が俺がってのは”身勝手”になってしまうのか・・・。
尊厳死が認められるか否かにかかわらず、家族内での話し合いや意思の確認は必要だな。


とりあえず、アルツハイマーには気をつけたいね。
必ずなる訳じゃないが、決してならない保障はない。
早期に発見できれば進行を遅らせることはできるらしいし。

そして、尊厳死に関する世の中の動きには注意して行こうと思うし、同時にこれからもそれについて考えて行きたいと思う。

4 件のコメント:

  1. どもです

    >ぶっちゃけ、家族が「以前、本人がそう言ってました」と言えばそれでOKだ。

    あ、そうなんだ、一筆なくてもいい訳なんだね・・・知らなかった

    >これには本人の明確な意思の表明とその証明が必要なようだ。書類のフォームもあるらしい。

    なるほどです、でもいざその場面になったら家族は悩み戸惑うだろうな、辛いっすね・・・

    >>自殺ってのはぜってえしちゃならん事だと思ってる。けど、、、もうここまで来たら・・・って、その「ここ」って「どこ」なん? ・・・線引きが難しい。

    そうだね、難しい・・・
    でも耐え難い想像を絶する苦痛を考えた場合、自分に置き換えた場合俺は「あり」だと思うし、一般的な(一般的って変だね)自殺とは違うと思うんだ、逃げてはいないと思います。

    >難しいねぇ。
    筆舌に尽くしがたく耐え難い苦痛・・・に比べたら、なんと贅沢で甘甘な話だってことになるわな。

    うーん、ホント難しい、実際に自分がそうなったらどうなんだろうか、難しい

    >手を下す医師や、それを認める家族にも、相当な精神的負担を強いることにもなる。
    やっぱ難しいねぇ。

    同じことばかり言うけどホント難しいっすね
    精神的負担かなりだし、残された華族は本当にそれで良かったのだろうかと生涯考えたり後悔したりするかもしれないし・・・
    お互い楽な死なんてないけれど、死は誰にでも必ず訪れることだけに深く考えてしまいます。

    >もっと親密な仲であったならば、また別の意識や感情を持ったかもしれない。
    が、、、まぁ、、、基本的にクールなんだろう。俺って。

    クール?そっかな?
    クールかもね、てか、クールにしてるのかな?
    基本的にか・・・うーん。

    >「自分が自分でなくなることへの恐れ」は増幅されたのだった。

    その恐れって家族等に迷惑をかけるという事なんだろうか?
    俺自身はもしそうなったらの時は腹くくってるから「恐れ」はないけれど、迷惑と悲しみを与えることが耐えられないかな、でも「わかんない」状態になっちゃってるんだよね、うーん難しい、やはりタイケの言う「恐れ」に繋がっているのかな・・・
    俺ってクールどころか自分勝手なんだろうな。

    >いい加減に対処したって訳じゃない。
    むしろクール つまり冷静に、悪く言えば事務的に、すべてに対処していった。

    タイケは「勇気」があって地に足の付いた大人なんだろうな、見習わなくては・・・

    >家族内での話し合いや意思の確認は必要だな。

    そうだね、きちんと話し合うべきだよね
    辛いけれど死から目をそむけてはいけないと思うし
    お互いの覚悟というか・・・愛に繋がるんだけれど・・・うー涙腺が・・・
    だからこそ投げやりにならないで一日一日を大切に真面目に真剣に(冗談や洒落やたまの大騒ぎは別で)生きていかないと、ま、肩が凝ったり考えすぎてもしょうがないけれど、とにかく、日々大切に生きている事、命がある事(奇跡)に感謝をして谷越え山超え生きて行かなくてはいけないんだよね。(チト話ずれてごめんなさい)

    >同時にこれからもそれについて考えて行きたいと思う。

    今回のタイケの勇気あるトピに心底感謝しています、どうもありがとう。

    返信削除
  2. 川上ぃ~! コメントどーもありがとー!

    > なるほどです、でもいざその場面になったら家族は悩み戸惑うだろうな、辛いっすね・・・
    耐え難い苦痛・・・の場合は家族としても楽にさせてあげたいって思うからまだイイよね、きっと。
    問題は「俺が俺であるために」なんつーてる面倒臭えオヤジだよね。


    > 一般的な(一般的って変だね)自殺とは違うと思うんだ、逃げてはいないと思います。
    うん。・・・うん。。。そうだよね。うん・・・・


    > 精神的負担かなりだし、残された華族は本当にそれで良かったのだろうかと生涯考えたり後悔したりするかもしれないし・・・
    そう。だからやっぱまともなうちにちゃんと話し合っておかないとねぇ。
    で、ドラマの話だけどね、この、残された家族にとっての精神的負担とか、それ以前の葛藤とか、そういうのを妻に強いるに忍びないってんで、作家は奥さんに内緒で事を進めるんですわ。
    そこがまた涙ボロ~っなポイントだったんです。ま、フィクションとは言え。


    > 死は誰にでも必ず訪れることだけに深く考えてしまいます。
    そうだよね。死は等しく訪れるからね。

    > クールかもね、てか、クールにしてるのかな?
    基本クールでドライなもんでその反動でウェットになことに憧れ的に反応し易いのかも。


    > その恐れって家族等に迷惑をかけるという事なんだろうか?
    いや、それも大いにあるけど、メインはやっぱり俺は死ぬまで俺でありたいって事だわねぇ。やはり ”尊厳”ですわ。
    俺の心意気が死んでしまったら、肉体が生きていてももはやそれは俺じゃない訳。
    そうなればむしろ家族や友人の心の中の俺こそが俺になるんであって、生きた抜け殻が俺として認識されるのは耐え難い。
    だってね、”俺”ならやらないこともやっちゃうんだもん。


    > やはりタイケの言う「恐れ」に繋がっているのかな・・・
    繋がってるんじゃないかなぁ。
    わかんない状態・・・それってつまり自分の ”意識”は無いか、自分とは違うもの になってる状態でしょ。
    でも家族とかはその状態でもそれをその人だと認識し続けてる訳。それ、俺じゃないのに。


    > 俺ってクールどころか自分勝手なんだろうな。
    人は誰でも多かれ少なかれ・・・

    > 見習わなくては・・・
    何をお言いだよぉ、この人は。あっはっはっは


    > お互いの覚悟というか・・・愛に繋がるんだけれど・・・うー涙腺が・・・
    そう、やっぱね、愛だよねぇ。

    > ・・・山超え生きて行かなくてはいけないんだよね。(チト話ずれてごめんなさい)
    いや、全然ずれてない。スウィートスポットですわ。まさにそれです。

    > 今回のタイケの勇気あるトピに心底感謝しています、どうもありがとう。
    いやいやそんな・・・ハハ~、恐縮です~。

    返信削除
  3. どぼちょんB2009年4月3日 1:36

    どもです。
    かなりの遅レスですんません。

    今、私の身近な人で、死に直面している人がいまして、このトピは本当に考えさせられながら読ませてもらいました。
    タイケー・ダビットソンさんの仰ることは、よ~~~~~~~~~~く解かりますし、恐らく私も自分自身の身に置き換えますと全く同じ考えです・・・・・が・・・

    レスをしたくとも、私の文章力では纏まらず今日に至りました。
    いずれ、タイケー・ダビットソンさんとは語り合いたくたく存じます。

    このままスルーしてしまうのは本意ではなかったのでこっそりレスしました。

    本当に難しいテーマです。

    返信削除
  4. どぼちょんBさ~ん! コメントどーもありがとー!

    > かなりの遅レスですんません。
    いやいや、全然OKっす。
    去年のトピでも大歓迎っす。ハハ!


    > 今、私の身近な人で、死に直面している人がいまして、
    チラっと聞きましたが、、、お辛いっすね。 堪らないですわ。


    でね、

    > が・・・

    これなんですよ。
    ね、この

    が・・・

    の部分が、凄~~~く大事なんですよね。
    実はここが、トピック本文よりも語られなきゃいけないんじゃないか?ってくらい大事なとこなんですよね。
    是非とも語り合いましょうぞ。

    こういうコメント入れてくれたんで、ついでのノリで書かせていただきますが、
    どぼちょんBさんは解ってくれてると思うけど、何も俺は、先が見えたらとっとと人生幕引きしたいって言ってるんじゃないのよね。
    自分の死が見えた時、それとどう向き合うか、向き合えるかって話でさ、
    終わり際の生き様そして死に様ってのを通してね、しっかり人生を締め括りたいもんだなと思うのね。
    そういうことを考えた時、ある特定の状況の下では尊厳死ってオプションもアリだよなぁってね、思うんです。
    が・・・
    なんですよね。


    > 本当に難しいテーマです。
    ですねー。

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