息子の独壇場
(義父の死と娘のピアノ発表会(中篇)からのつづき)
じーちゃんが亡くなった翌日がピアノ発表会でその翌日が入棺その他準備。
身内が亡くなるとあれこれ大変だよな。 俺なんかはどってことないけど。
入棺の時は息子がじーちゃんを見舞った時に折った折り紙のT.レックスやら鯨やら金魚やらを一緒に収めた。
賑やかでいいじゃないか。
その他、じーちゃんの宗派に則ったあれこれもね。
じーちゃんが自宅に戻った時のための簡易祭壇キットを受け取り、ばーちゃんの家に運んで俺が組み立てて設置。
この日はこれでおしまい。
翌月曜日をおいて火曜日がお通夜。
斎場に到着すると、主な親族は概ね揃っていた。
そう、この前家族旅行のトピックで書いたダジャレおじさん一家も泊まりがけで参列だ。
じーちゃん方の親戚で、カミさんの従兄弟に当たる人たちとは、結婚した後数年の間に2度ほど会っただけで、それ以来。
つまり、最後に会ったのは30代前半ってことだ。
いや~~~~~凄いな。おっさんの祭典かよ!って状態。そりゃ俺も思われてるんだろうけども。。
坊さんのスリッパがゴージャス過ぎて笑いそうになって困ったな。
どこで作られてんだろ? 小さな町工場まのに世界シェア95%くらい握ってるとか、そんなノリだろうな、きっと。
坊さんの読経の太くて良い声と語る時の優しく甘い声のギャップに笑いそうになるも、その甘く優しい声での語りかけに思わずホロリ。
そして寿司やら摘んで、みんなはビールやら酒やら。
おっと、アルコール入ってダジャレおじさんエンジン全開だ。タハハハハハー
しかしいろんな人が来てくれて、ありがたいことだねぇ、じーちゃん。
明日は最後のお別れだ。
告別式は涙雨。
式はごく普通に流れて行った。
そして、来たね、あの時が。
会場がごく自然に涙の空気に支配される瞬間ってあるでしょ。
棺にみんなでお花を入れる時。
あれ、普段付き合いないのにしがらみで会葬したって場合でも泣けるのに、身内なら尚更だ。
お花の他、ウチの子らが小さい頃から事あるごとにじーちゃんに渡していた手紙(じーちゃん、全部大事に取っていた)を入れたり。
それでも俺はなんとか涙は堪えてた。
あれこれ入れ終え、ばーちゃんがじーちゃんの顔に白い布を掛けてから棺の蓋をするって段取りだ。
ばーちゃん、白い布を手に持ち、じーちゃんに「バイバイ」と言ってから顔に掛けた。
これでもう俺の涙腺の防波堤は決壊した。
どんな大女優にもあの「バイバイ」を演じることはできやしない。メリル・ストリープでも無理だね。
霊柩車へ運び入れるのは男の仕事ってのは昔からの習わしだ。
おっさん方爺さん方の中にチョコンとウチの息子が混じって棺に手を掛けている様は、、、チト笑えた。
霊柩車のハッチが閉まる。
俺、これ見るとヤバいんだよな。ハッチが閉まるシーン。 なんだか来ちゃう。
火葬場へ。
「肉体」がある内の最後の扉が開いて・・・感謝の言葉に送られて・・・閉じる。 涙。
待っているうち、普段ほとんど交流の無かった甥とあれこれ話し、ケータイ番号をメルアドを交換した。
もう高校3年生だが、なんだか「甥」って可愛いもんだな。
みんなで骨を拾い、骨壷に納めて無事終了。
みんながバスに乗り込み、いざ出発って時に、息子はトイレに行っていた。
「あと10分ほどです」って時になぜ行っておかなかったのだ!
斎場に戻り、初七日法要。
葬儀のその日に初七日もやっちゃうという素晴らしく効率的な裏技はいつ頃開発されたんだろう?
読経が終わり、準備のためにしばし待たされてから精進落し。
祭壇や焼香台があるのは分かるが、木魚や鐘まで置いたままだ。良からぬ予感が・・・
俺は今度は正面に座った姪と話をした。さっきの甥の妹で中3だ。
もちろんケータイ番号とメルアドも交換。
「姪」ってのは・・・無条件に可愛いもんだな。
そしてそれは始まったさ。
そんなところに置いてあったら・・・やらない訳ないじゃん。
我が息子、ダジャレおじさんの息子(もう良いおっさんだ)にそそのかされ、当然テンション爆発させてその気になって、僧侶席に座って木魚を叩き出した。
ポク・ポク・ポク・ポク・ポク・ポク・ポク・ポク・ポク
右手で木魚を叩きながら・・・左手で鐘をチーン! 一休さんかよ!閃いたのかよ!!
場内、大爆笑。
息子の心の声が聞こえて来た。「ウケるって・・・素晴らしい!」
そりゃ調子に乗るに決まってんじゃん。
もう、叩く叩く。
デカい方の鐘もゴーン! 抑えてミュート気味に鳴らすテクも習得。
やりたい放題し放題。この会場の笑いの空気は息子が完全に掌握した。
後日、その場に居合わせた何人もの親族から、「あんなに楽しかった葬式は初めてだ」「本当に楽しかった」などの感想が寄せられたそうだ。
すべて終えて、何人かの親族と共にばーちゃんの家へ。
遺骨と遺影と戒名を簡易祭壇に設置し、ロウソク線香を灯す。
後はそれぞれテキトーに。
なんとなく、その場の流れで、俺、ウチの子ら、そして甥と姪(ウチの子らから見て従兄弟)で遊んだ。
いや~、楽しかったなぁ。
甥や姪って可愛いもんだな。
君ら、親にも先生にも言えない事とか、それ以外の大人の意見が聞きたいとか、そんな時は俺にメールするんだぜ。 問題を解決できるかどうかは別として、とりあえずガチで話は聞くぜ。
と、まぁ、
身内が亡くなるってのは、涙ばかりじゃなくて、
その、笑いや思い出やふれあいや感謝や楽しさやダジャレやあれやこれやを用意してくれたのは他ならぬじーちゃんって訳だ。
じーちゃん。いや、お義父さん、お疲れ様でした。ありがとう。
こんばんは。
返信削除前篇、中篇、後篇と 涙と笑いを交えて
読ませていただきました。
お義父さまは 安心して
旅立たれたでしょうね。
本当に葬儀には少々の笑いがあったほうが
みんな救われると思います。
(まぁ、息子さんの木魚をたたくくだりは
少々どころではないですが)
亡くなった方ににとっても おそらく
暗くどんより送られるより
涙はあっても 感謝の言葉や
温かい笑いがあったほうが
いいですよね、きっと。
ネコキックさ~ん! こんにちは。 コメントどーもありがとー!
返信削除> 本当に葬儀には少々の笑いがあったほうが
> みんな救われると思います。
いや、まったくその通りですね。
事情にもよるけど、大体そんなノリや空気ってあるもんですよね。
> (まぁ、息子さんの木魚をたたくくだりは少々どころではないですが)
ブハハハハ。面目ない。
> 亡くなった方ににとっても おそらく
> 暗くどんより送られるより
> 涙はあっても 感謝の言葉や
> 温かい笑いがあったほうが
> いいですよね、きっと。
ですね。
それはきっと故人の生き様や生前みんなに与えた愛やあれこれが影響してくるんでしょうねぇ。
身内の死に触れて自らの生を考える・・・ってのも大事なんでしょうね。